パロディですのよ

 最近トイレに行く度にポルナレフの顔を思い出します。意味も無く。今日は用を足す前に便器の中を覗いてみましたが、ブタはいませんでした。当たり前ですが。
 トイレと言えばポルナレフポルナレフと言えばトイレ。あしたのジョーとか、漫画のキャラがCMに出るのなら、ポルナレフもトイレのCMに出るべきだと思うんですよ。荒木飛呂彦先生が許すかどうかは知りませんし、第一どうやってCMにするのか想像も付きませんが。ところで、「荒木」でググると荒木先生のWikipediaが一番に来ますね。恐るべし。


 さて、昨日私は「『サンデー読んでねー』のリズムが気に入ったから読まなくても満足した」と書きましたが、油断した……ッ!これを逃すなんて、不許可……!ありえない……!ダメッ……!
 えー、特に絶対可憐チルドレン。いろいろな作風を使いこなす椎名高志先生ですが、私が一番面白いと感じるのは「パロディ」でして、今回はもうお腹一杯。LOST+BRAINデスノートを読み込んだ人間だけが理解できるネタの応酬。やっぱり「分かる人だけ分かる」こそがパロディの真骨頂ですよね。本格的にパロディを作風に取り入れた漫画の代表である、ゆうきまさみ先生の「究極超人あ〜るからしてそうですし、「作者が楽しそう」というのも伝わってきます。
 それに、椎名先生はパロディの「入れ方」と「力加減」を心得ている人です。今回も「丸パクリじゃねーか!」というよりは「どっかで見たシーンじゃねえか!」という感じに「外して」ネタを入れています。まず、椎名先生程のベテランならデスノートのコマを正確に模写するのも不可能ではないでしょうし、ネタだってもっと細かく入れることができるはずです。が、それをしないのは「丸パクリは元ネタに失礼」ですし、しかし「自分の作風を維持しながらもあからさまにネタを入れている」事によって、「他人のネタを拝借したけど、他人のネタを自分のネタにしたわけじゃない」というのも理解できるようになっています。昔ながらの、清く正しいパロディというやつですか。しかし、元ネタに忠実だと分かっていても、薫はいつリミッターに細工したのか、疑問を感じずにはいられない(笑)、そんな風に、新たなツッコミどころも用意してあるのが上手い。


 そこでふと思ったのですが、「太臓もて王サーガ」。あれはパロディ漫画という扱いになっているかもしれませんが、パロディの入れ方としては「すごくうまい」というわけじゃありませんでした。大亜門先生もそれを意識していたのかどうかは知りませんが、後半の方はネタが少なめになっていって、素のネタやストーリーだけで十分読める漫画になっていました。あと、ハヤテのごとく!畑健二郎先生とかもパロディ無しのストーリーでいけると思うのですが……。まあ、本人達が「入れたそう」だから何も言えないんですけど。
 個人的にパロディやネタの入れ方が上手い漫画家さんは、椎名先生の他には吉崎観音先生等でしょうか。ケロロ軍曹は随分一般向けにシフトしたものの、唐突にドラえもんネタが入ったりするから油断できません。しかも「分かる人だけ分かるツボを突いたコマ」な上、「ストーリー展開を崩さず、アクセントに留める」バランスも上手い。オシシ仮面の「グエーッ」とか当時から笑いどころでしたし、ネタ漫画としてドラえもんが再評価されている現在、吉崎先生が妙に活き活きしてる気がします。……一番好きなネタは、アンチバリアを知る時のケロロの「アストロ球団」ネタなんですけどね。宇宙流れ者!
 あと、吉崎先生は擬音ネタが上手い。一枚絵等も多く手がけているおかげか、漫画だけではなく「イラスト」も上手いんでしょうね。「ドラえもん」のタイトルロゴっぽい擬音とか、見ててすごく楽しくなります。おかげで、漫画1ページ辺りが「楽しくまとまって」います。漫画を読んでも勿論面白いのですが、パッとページをめくるだけでも楽しさが伝わってきます。


 こういったパロディを取り入れた漫画や漫画家さんに共通するのは、「自分の作風が確立している」でしょうね。当たり前ですが。パロディは面白いですが、それはあくまで他人のネタであり、普段のその人の漫画を読んでも一定の面白さがあります。
 そこでいきなりパロディが出てくると、あふれ出す違和感……。その次に思うのは、「ああ、この漫画家も人間なんだなあ」という和やかさ。「自分の漫画を描いてるだけじゃない、他人の漫画も読んで、ネタにするほど読み込んで、楽しんでる」という感覚。それが私も知ってる漫画なら、共感も生まれます。「ああ、この人の世界と私の世界は、ほんの一部だけど同じところにあるんだ」という感覚は、実に心地良いものがあります。私が「パロディ」に感じる面白さはそんなものだと思います。……文章にして思いましたが、結構特殊な感覚かもしれませんね……。


 パロディって、いいなあ。