仏陀再誕

 観に行くかどうか悩んでいたんですが、道端で二人組のおばさんが鑑賞券を無料で配ってたので、「いいじゃないか!ただ だし」等と。
 一人で観に行くのはちと辛かったのですが、今の私の周りにはこの手の映画を娯楽として楽しめる人間がいないので、残念ながら一人で。おばさんは二枚組を渡そうとしてきて、ああなんか大変そうだなあとか思ったりもしたのですが、そこまで協力する気もありません。


 大雑把なストーリーを語るならば、幸福の科学創価学会が超能力と説法で対決するお話です。実際にはどちらも明確にモチーフにしたり批判したりしているわけではないのですが、そう考えた方が分かりやすいのでそう考えます。
 これの面白いところは、「宗教の対立」を主軸に持ってきているところではないでしょうか。この手の新興宗教における「他の宗教」というものは、自分達の信じるものが唯一なのは当然なので、他の宗教は語るまでもないまがい物か、あるいは自分達から分化したものであるという考え方が一般的だと思います。他には「否定はしないけど肯定もしない」等と明確には扱わないパターンもあるでしょうか。
 しかし、この映画では「自分こそが現代の仏陀だ」と主張する創価学会が、物語の味付けではなく明確な敵として描かれています。当然その主張は幸福の科学の大川先生によって間違っている事が証明され(大川先生こそが仏陀だから)、創価学会も改心するのですが、敢えてここで創価学会を打ち砕く必要はどこにあるのでしょうか。
 考えられるのは、「宗教そのもののイメージダウンが赦せん」という意味で登場させたか、あるいは選挙アピール等の生っぽい理由があって(それとなく)批判したかったのかもしれません。前者については実際に作中で「これでは誰も仏を信じなくなってしまう」といった台詞がありましたから、それに近い意図があるかと思います。後者については……、まあ敢えて言うまい。
 また両者の主張ですが、私は特に何かの宗教の信者というわけでもありませんし(強いて言えば浄土真宗なんですが、法事の時に話を聞くぐらいのナンチャッテです)、幸福の科学創価学会のどっちが正しいとか悪いとか考えた事もありませんが(強いて言えばどっちも悪いとは思います)、意外だったのが、どちらの主張もそれほど間違った内容ではなかった事でした。
 まずどちらも「現代は病んでいる」といった前提から始まっており、そこで敵役である創価学会「操念会」は「一人ひとりが強くならなければ生き残れない」とちょっと攻撃的な内容なのに対し、幸福の科学「TSI」は「一人ひとりが人間や世界の成り立ちを知らなければならない」と穏やかっぽい内容。ただ決定的に違うのは、操念会はそこで「操念会に入れば強くなれる」と勧誘しているのに対し、TSIはあくまで個人の在り方を問うだけで勧誘はしていませんでした。
 ですから、操念会はその意味で「新興宗教っぽく」て、すごく露骨な印象を抱きました。じゃあ我らがTSI引いては幸福の科学が正しいのかと言われると、こんな映画作ってる時点で露骨極まりないので、やっぱり新興宗教っぽかったです。なお、TSIの教えに触れた人が涙を流したりする「濃すぎて引いちゃう」シーンもあるのですが、これは露骨というよりは演出の範疇かなあという気がしました(演出は即ち「露骨にする事」なんですけどね)。
 ただまあ、どちらの主張もそれほど道理から外れたものではありませんし、説法と言っても難しい言葉はほとんど使っていないので、宣伝や入門には良い感じだと思いました(死後の世界とか輪廻転生とか扱っているのでそっちに拒否反応を示す人にはオススメできませんが)。ストーリーも単純ですし、心が病んでいる人ならコロッといってしまうかもしれませんが。


 で、ここからは「アニメ映画」としての感想を。
 私に券をくれたおばさんが「絵が綺麗」と言っていたのですが、確かに絵は綺麗です。そして声優もやたら豪華で、こんな良い声と良い作画で説法を説かれたら騙されてしまっても良いかとすら思えます。操念会を率いる「荒井東作」の声は銀河万丈さん、TSI代表の「空野太陽」の声は岸尾だいすけ子安武人さんで、どちらも渋イイ声の持ち主です。主人公の少女「天河小夜子」の声は小清水亜美さんでクセもありませんし、キャスティングは本当に素晴らしいものがあります。
 ただ、娯楽性は正直イマイチです。ストーリーの流れは「霊が見えるようになった小夜子が荒井に引っかかりそうになるも空野先生に救われてバトル」といった感じで、そこいらにありそうな霊能バトルものに脳内変換する事も可能なのですが、肝心のバトルが「説法」なので、正直飽きます(UFOとかも出てきたりしますが、空野先生があまりに強すぎて勝負になっていませんでした)。私は当初TSIの幹部達が次々と超能力で操念会の幹部を打ち倒していくような痛快なストーリーを想像していたのですが(笑)、どうも超能力を使えるのは空野先生と荒井の他には謎のシャーマンの老婆(本当に謎。TSI的にはどういう人物なんでしょう)しかおらず、お互いの信者は妙に気合いの入った格闘シーンで戦っていました。それはそれで面白かったのですが、肩透かしを食らった気分です。
 制作側もそれを感じたのか、時折思い出したようにあからさまなギャグシーンが入ったりするのですが、あまりにあからさますぎてテンポを崩してしまっていました。コンテとか演出も飛びぬけたものはありませんし、良い声と良い作画だけで引っ張るにはちょっと辛かったです。
 極めつけは、中盤に突如挿入される、空野先生の講演会のシーン。本当に突然で、前後のストーリーと微妙に食い違っていて、しかも長い。どこかの講堂で空野先生がお話をされるのですが、一つひとつのカットが本当に「講演会」でしかないので、話の内容はともかく画面的に全然面白くないのです。途中でイメージカット的に光ったりもしていますが、この映画は全編通じて「何か光ってる神秘的な力」の描写が多すぎるので、この頃にはすっかり食傷気味になっていました。
 ここで気付いたのですが、これは要するに「宣伝アニメにおける宣伝シーン」なのではないでしょうか。昔のロボットアニメではロボットを玩具として売るため、毎週ロボットを出さなければならないという「宣伝シーン」がありましたが(例:訓練と称して毎週分離合体するガンダム)、この映画の場合は(ちょっと嫌な言い方かもしれませんが)「説法」こそが宣伝なんじゃないかと。このシーンは「入れなければ怒られるシーン」であり、他のシーンとの繋がりが不自然なのもそういう理由だとすれば納得がいきます(だからと言って映画を楽しめるわけでもないのですが)。
 そして「宣伝」に気付くと、この映画の構造も段々理解できてきました。あの講演会のシーンは、まさしく映画館に足を運んだ私達そのものであり、そうなるとこれは「娯楽映画」ではなく「偉い人の講演会」として観るべきだったのです。説法バトルもギャグシーンも、全て講演の演出です。それに気付かず軽い気持ちで観ていたので、途中から馬耳東風になっていたのですが、最初から気合いを入れて「お話を聞こう!」という気持ちで観ていれば、また違った感想を抱いたかもしれませんね。


 それにしても、バトルに負けた池田大作先生をも「お前もまた仏の子だからだ」と過ちを赦して改心させる大川隆法先生は素直に大物だと思いました。この話の中での大川先生はとにかく善人な上に偉ぶらず皆から慕われているのですが、そこで語られている主張(ツッコミ)は現実の大川先生にほとんど全てブーメランのように返ってくると思うんですけど、それさえも許容してらっしゃるのかしら。
 あと、ED主題歌でやたらと「悟りにチャレンジ」等と歌っているのはどこまで本気なのやら。悟りを得る事自体は良い事だと思いますが、それを直接歌詞にして歌ってしまうとギャグになると思います。