「メカと少年」は王道中の王道

 同じ話題を毎日書いていると、日常の中でも自然とそのネタが出てくるようになります。私の場合はF-ZEROファルコン伝説ですが、おかげで最近、どんどん時代を逆行している気がしてなりません。上でも二回ほど素でネタを出していますが、ギャルゲーとF-ZEROの親和性とは一体どれほどのものなのでしょうか。「キャラクターが濃い(メイン)」などの共通点はありますが。


 34話、クランクとガゼルですが、前にガゼルが登場した28、29話と同様に、この話もなんとなくテンポが悪く感じました。勿論面白いとは思うのですが、ガゼルのキャラクターがまた変わっているので、話についていけない部分がありました。
 こういう「微妙なすれ違い」を描くのは本当に難しいと思います。この場合「実は親子だけど、お互いがそれを知らない」という設定がありますので、喧嘩してもどこかが繋がっているという「絆」が重要な部分になります。ですから……、ルーシーは「うっかり」では済まされないんじゃないかと。余りにもサラリとばれたものですから、感動が薄れた印象があります。
 しかもこの話では二人の絆の終着点こそ描けましたが、決してハッピーエンドにはなっていません。ドクターが「必ず生き返らせる」と言ってしまったので、オチが先延ばしになってしまいました。じゃあ一体いつ落ちたのかといえば……、全然落ちてないんですよね。結局最後の最後まで出番がありませんでしたので、この親子がどういう結末を向かえたのか、分からないままになっています。勿論幸せにはなれたのでしょうが、34話を丸々使って二人の関係を描いたのですから、ロイがガゼルの頃の記憶を無かった事にするわけはないと思います(ロイというより、ファルコン伝説のスタッフが)。
 唯一の繋がりが、暗黒ガス雲でクランクがレッドガゼルに乗っていた事ですか。これは「スタッフはガゼルの事を忘れていなかった」と取るべきなのか「ガゼルのエピソードをこれ以上描けなかったので、想像で補ってもらうためにそうした」のか、よく分からないところです。何故こういう事を考えるかというと、どう考えても序盤のエピソードには不要のものが多いので、製作体制やシリーズ構成になんらかの不備があったとしか考えられない(考えたくない)のです。


 いや、序盤のアレも、あれはあれで面白いのですがね。ただそれはあくまでヘタレ的な面白さでありまして、膨大なキャラがいるF-ZEROにわざわざその話限りのオリジナルキャラを持ってくるというのはどうなのかなあと。具体的には7話なんですが。
 オリジナルキャラは大体が序盤にしか登場していませんし、やっぱりかなり慌しい中での制作だったのかなあと邪推したくもなります。