素粒子

 観に行っていました。原作小説は読んでいません。ていうか、どんな話かも調べずに、「あらちょっと理系のお話でも観てみようかしら」ぐらいの気持ちで行きました。
 しかし、ここで語られている話の要点は理系とか文系というより、もっと根源的な部分にあると思いました。それこそ、「それ以上細かくできない」素粒子の如く。
 ヒッピーになって家族を放り出した母親が、二人の男と関係を持った事で生まれた兄弟。兄のブルーノは他の家族にも恵まれず、荒んだ少年時代を送り、教師となっても不安定な精神状態のままでした。一方弟のミヒャエルは、子供の頃から頭脳明晰で、遺伝子の研究を専門とする分子生物学者になりました。
 一見は「駄目な兄と頭の良い弟」という対照的な存在ではありますが、両者には根源的な部分での共通点が存在していました。「性欲」です。
 ブルーノには妻も子供もいるのに、自らの性衝動を制御できず、妻以外の女(生徒)に走ろうとして問題を起こし、精神病院に入院する事になります。ミヒャエルは逆に全く性に対する関心が無いのですが、性欲の辿り着く場所である「種の保存」に対し、交配せず人工的に生命を作り出す、言うなればクローン生物の研究に没頭しています。
 子供にとって、最も身近な異性の存在は「親」です。この兄弟の場合、母親は育児はおろか子供の存在すら放棄して自由奔放の生活をしています。たまに顔を見せたりはするのですが、二人とも疎ましく思っているのが明白でして。そして、母が死んだところから物語は動き始めます。
 ミヒャエルが故郷を訪れた時、幼馴染のアナベルと再会します。そして幼い頃からの想いを告げられ、今まで全く女性というものを意識してこなかったミヒャエルは、自分の気持ちを認識します。
 ブルーノは女性が多く参加するというヒッピーのキャンプに行った時、自分の気持ちを理解してくれる女性クリスティアーネと出会います。それまではどうにかして衝動を解放しようと痛々しい行動ばかり取っていたブルーノが、彼女と出会う事で静かな大人へと変わっていきました。
 しかし、アナベルはミヒャエルとの子供を産もうとしますが、検査を怠ったおかげで病気の発見が遅れ、中絶し、更には子宮を切除せざるをえなくなりました。一方のクリスティアーネはブルーノの気持ちを汲み取って腰痛を隠していたので、悪化して下半身不随になってしまいます。
 クリスティアーネはブルーノに負担はかけられないと思い、飛び降り自殺しました。ショックで再び精神病院に行ったブルーノが見たものは、他の人間には見えないクリスティアーネの幻影でした。そこにミヒャエル達がやってきますが、二人とも「存在しない女性」については触れず、「四人」で海までドライブに行くのです。
 海辺に座り、他の誰にも見えない女性の手を握り、安らかに微笑むブルーノ。その様子を、やはり静かに見つめるミヒャエル達。ミヒャエルはその後研究を続けノーベル賞を受賞し、ブルーノは精神病院で一生を幸せに過ごしたといいます。


 この話のポイントは、二人とも対照的な人生を送っていながら、結局辿り着くところは同じという点です。それは冒頭でも書きましたが、実は映画の中でも暗喩として示されています。ブルーノがボードレールの詩を授業で扱い、ある生徒が「性欲は詩作の源でもあり、孤独を作ってもいる」と評するのです。
 この兄弟は結局、同じものを求めていたのだと思います。それが愛なのか性欲なのか、他の何かなのかは分かりませんが。「自由な母」と「別人の父」の間に産まれた兄弟でありながら、同じ「素粒子」を持っているのです。
 なんだか最近、真面目な映画を観ていませんでしたので、あまりまともな感想が書けません。しかし興味深かったのは事実ですので、原作小説も見つけたら読んでみようと思います。
 あと、パンフレットに「臨死!!江古田ちゃん」の瀧波ユカリ先生がイラストを書いていてすっごく驚きました。絵の雰囲気が全然違うんですもの。