題名のない子守唄

 これ、9月公開なんですよね……今日観たんですけど……。どんだけ田舎なんですか三重県は。四日市中映も閉めちゃったし、シネコンではメジャーどころしかやらないし、映画業界が段々遠ざかっていきますよ。東京とか名古屋なら早く観れるんでしょうけど、さすがに映画一本のためにそこまで遠出したくありませんしねえ。空の境界とか、東京のみの単館上映で7部作とか、映画ファン泣かせにもほどがあります。
 さて、本当ならここで感想とかざっとしたストーリーとか書くところなのですが、日記を一時休止している間にも私は映画を観続けていました。休止前に観た最後の映画は「恋空」でしたが、あれから「めがね」天然コケッコー」「マリと子犬の物語」「ショートバス」「オリヲン座からの招待状」を観ました。ひょっとしたらもうちょっと観たのかもしれませんが、なんだか年末年始の仕事で記憶が曖昧に……。やっぱり日記は大切です。紙の日記も書いておけば良かったですよ。
 ところで私って、映画好きな方だとは思いますが、普通の人と比べてどんだけ観てるんでしょうね。1月1日には「マリと〜」を観に行ったのですが、あの時は結構人が入っていました。それは「感動作」だったからなのか、それとも1日は安いからなのか。
 でもあの映画、不覚にも最後爆笑するところでした。だって、「いかにもな感動作」にしてあるんですもの。某恋空だって「感動作」だったんですけど、恋空が「特定の世代(十代女性)に向けた感動作」だったのに対し、マリは「一般向けに平均化された感動作」という点で違います。だから恋空は「面白い(感動した)」「つまらない(笑えた)」の評価が極端なんですけど、どちらにしろ「印象に残る」のです。マリはそれが無いから、その分気持ちに余裕ができるんですね。だから妙なところでツボに入ってしまいました。自衛官のおじさんがマリを諦めなければならないシーンの感情の入りっぷりとか、ラストでいつの間にか全員にマリが認知されている辺りとか、なんだこの「感動作」は。いかにも「大衆受け」しそうな、無難でソツが無い、でもどこか白ける……。
 どこまで実話なんでしょうね、これ。……人を小馬鹿にしたような書き方ですが、映画にした時点で「実話を元にした」という意味はほぼ失われてしまいますから、あんまり謝りたくはありません。


 この場合、感動とはカルピスのようなものです。恋空のような極端な映画は、まるでカルピスの原液を一気飲みするような感覚に近いものがあります。普通は飲めたものではありませんが、子供の頃「一度はやりたい」という思いがあるからこそ、カルピス原液は人によって感動をもたらします。
 マリは普通のカルピスです。いつ飲んでも体調を崩したりはしませんし、コップ一杯程度で飽きたりはしません。でも、それはある種の物足りなさでもあるのです。「喉渇いた→じゃあカルピス飲もう→あーおいしかった」程度の価値しかないのです。一週間もすれば「また飲むかなあ」という程度です。これが原液なら「もうカルピスは一生分飲んだ!」になるんですけどねえ(それはそれで問題なんですけど)……。


 結局何が書きたかったのやら。マリの話ばっかりじゃないか、これ。でも今から「題名〜」を書くのはちょっと……。
 もう寝る。そしてウラさんの最期を見届けるんだ。