恋空←完全に実写だ

 ちょっと風邪気味なので、軽く。
 ありふれた話かもしれませんが、自力で到達した境地なので、どうか突っ込まないでくださいね。


 世間で散々叩かれてる「恋空」を私は嫌いになれません。あれは「物語」ではない「感動の集合体」である、というのは前に書きましたが、今日新たな事実に到達しました。
 「恋空は完全に実写である」と。


 ニコニコ動画永井先生という人がいます。詳しくは知らないのですが、ニコニコで話題になってる動画などを視聴する様を、オーディオコメンタリーのような形で配信している人です。ニコ動はサブカルチャー系の動画(ぶっちゃければオタク系)が多いのですが、先生はあまりそっち方面の知識は無いようで、時々入る素朴なコメントや的外れなツッコミが人気になっています。私はチェックしてないので、今も人気かどうかは知りませんが。
 で、その中に「完全に実写だこれ」という言葉があります。これはアイドルマスターのダンスPVを観た際の感想で、勿論アイマスはCGなのですが、その映像のあまりに自然な動きに「実写」という表現を用いたのです。


 何が言いたいかと言いますと、恋空を「リアル」と褒めてる人は永井先生と同じタイプの人間なんじゃないでしょうか。つまり、そっち方面の知識は無いけどそこそこの興味はあって、それに感動した様を表す語彙が「リアル=実写」ぐらいしか思いつかなかったのではないかと。
 あの話を褒めてる人は「感動しました!!!!」「すごく泣いちゃいました!!」とか、非常に語彙力に乏しい人が多いのです。何がどう感動したのかを伝えるだけで文章の魅力は倍増するのですが、その場の勢いだけで感想を垂れ流しています。悪い言い方をすれば、短絡的です。
 そして、「リアル」もその一つ。永井先生が滑らかなCGムービーを「完全に実写」と表現したのも、それが自分の隣にある世界でありながら、実はよく知らないからそう言ってしまったのです。「なんだか分からないけど、この感動を伝えたい」という時には、人は時としてよく分からない言葉で表現してしまうものなのです。
 でも、これはそういうものに多少敏感なオタクとて同じことです。Fateは文学ですし、CLANNADは人生なんです。鳥の詩は国歌です。よくよく考えるとその言葉はなんか間違ってるのに、自分の感動や作品に対する思い入れが間違いに気づかせなかったのです。「恋空はリアル」と言う十代の女性と、何が違うでしょう?
 あ、一応言っておきますが、CLANNADは人生で問題無いと思います。だって、そこには架空であれ人々の一生が刻まれているんですから、そこにどれだけのファンタジー要素があろうが、一つの人生の形としてなんら問題は無いと思います。ただ、それを自分の人生と重ねるのは「おいおい♪」なわけですが。
 Fateは文学というのも、別にエロゲーが文学作品として成り立たないとは誰も言っていませんから、間違ってはいません。ただ、エロゲーを文学作品より下に見てるという先入観の下にこの言葉を使ったのなら大間違いですが。文学って古今東西問わずエロいのばっかりですし、物語はジャンルごとにランク分けや優劣があってはならないのですから。読みもしないで「ライトノベルなんてつまんねーよ。宮沢賢治最高」なんて言う人とはお友達になりたくありません。
 話がそれました。恋空を「ケータイ小説」という時点で敬遠する人がいるのはしょうがないとしても、「ケータイ小説なんぞが面白いわけがない。褒めてる人間は頭の悪い女ばっかりではないか」と言うのはしょうがあります。その人たちは感動したんですし、その感動を表す語彙力が他人に伝えるほど無いだけなんです。


 彼女達は若いんです。きっと五年も経てば、「あの話は感動したけど、『リアル』っていうのはちょっと違うよね……」と自らのズレに気づくでしょう。嗚呼、美しき日本語よ返り咲け。日本ジンダマンが皆を導くであろう。
 でも、そういう「言葉の意味に囚われず自分の感情を表現する」という姿勢は大事だと思います。そうでなければ「CLANNADは人生」「完全に実写」という言葉は生まれなかったのですから。発言者にはちょっと悪いかもしれませんが、こんなけだし名言があるからこそ、私達は日々を楽しく生きられるのです。本人も、その独創性を上手く伸ばせば「芸術」に昇華することもできるでしょう。
 完成された世界ほどつまらないものはありません。ちょっとぐらいのほころびがある方が面白いものです。恋空がリアルでも良いじゃありませんか。恋空は人生、恋空は文学、恋空は完全に実写。
 うむ、崩れても美しき日本語。日本ジンダマン万歳。