テレビ

 アイドルマスター やよいのテレビ
 「テレビ」です。


 こういう単純な曲を聴いていると、昔のテレビは面白かったなあという印象があります。バラエティにしろ情報番組にしろアニメにしろ、今は出演する芸能人の個性で面白さを見せるのに対し、昔はそれぞれの面白さや手法を試行錯誤して作っていました。少なくとも、私にはそう思えます。
 例えば、昨今の流行語大賞なんかはその最たるものではないかと思います。ある芸人の持ちネタが受けて、それが流行語大賞を受賞して、でも次の年の同じ時期には全く話題にされない(ネタも、芸人も)という状況は、いかに「笑い」を軽く見ているかが分かります。
 持ちネタがあるのは結構なことです。でも、どんなに笑える持ちネタでも、それが日本人全員に受けるわけはありませんし、何十年と受け続けるわけもありません。じゃあなんで持ちネタなんてものがあるかと言えば、いろいろな「前フリ」があるからこそ面白いネタになるんだと思います。いきなり「そんなの関係ねえ」とか言われても普通の人にはサッパリですし、どういうものが関係あって何が関係無いのか、というか「何に」関係ないのか分からず、言葉だけが独り歩きしてしまうとすぐに飽きてしまいます。たぶんこの言葉も、今年の終わり頃には完全に消えているでしょう。
 どんな素材も、使えば劣化します。そうならないように、いろいろな手法を用いて面白さを追求していくのが「芸能」人の正しい姿ではないかと思います。ただ自分の持ちネタをべらべら披露してるだけのような人は芸能人ではなく、ただの変な人です。
 バラエティとかもそうです。最近は出演者達の会話が多く、お互いのキャラクターをいじって場を持たせているものも少なくありません。それは正に「身銭を切る」というヤツで、その人の人間性がどんどんさび付いてしまいます。第一そういう話は結局「内輪ネタ」「楽屋オチ」ですから、芸能人の顔や名前を覚えない私のような人間にはちっとも面白いとは思えないわけで。ただの内輪ネタでも、そこに演技を交えるとか、話の構成が上手くて分かりやすいとか、プロならではの技があれば「面白い」と思えるのでしょうが……。
 アニメも最近、声優が豪華とか作画がすごいとか、そういう「売り」が増えてきましたしねえ。ぶっちゃけそういうのは「あって当然」な気がするのは私だけなのでしょうか?プロの仕事なんですから、作画が崩れないのも当たり前で、演技する声優さんも上手くて当然なんじゃないでしょうか。
 なぜアニメにそういうものを求めるかと言えば、アニメは普通のドラマやその他番組よりも、虚構の占める割合が大きいんですね。極端な話、カメラと役者がいれば作れるドラマやバラエティと違って、アニメはカメラの画面から描かないといけません。
 勿論世の中には予算の都合とかいろいろありますから、どうしても豪華にできない時があるでしょうが、「テレビに映る」以上、下手があっても下手に見せないのは当然だと思います。
 結局、最近は「テレビ」のありがたみが薄れていますよね。
 テレビに映るって一生ものの体験なんです。馬鹿なカッコを見せて、それがビデオに撮られてン十年先まで語り継がれるなんて、私だったら嫌です。それが「人を楽しませるために道化を演じる」なら良いんですけど、ただへらへら笑ったり手抜きしたりといった場面は絶対に嫌です。


 全然関係無いけど、中村隆太郎監督の神霊狩が観たい私。あの監督はもっと評価されるべきだと思います。lainにしろ攻殻機動隊にしろキノの旅にしろ、中村監督のコンテは鳥肌が立ちます。画面に一切無駄が無く、音楽とも全体の構成とも完全に調和してて、でもあまりに自然すぎて違和感が無くてサラッと流してしまうような、そのぐらいすごい人ですよ、あの監督は。