アース

 地球の生物の姿を描いた壮大な映画「アース」を観ました。北極から南極まで移動しながら生物の生き様を描いているので、序盤は「北極のナヌー」と被って仕方ありませんでした。まあ似たようなテーマですし、しょうがないと言えばしょうがない。


 さて、なんかつまんなかったです。というより、不愉快になりました。
 生物のありのままの姿を描いているのは良いのですが、どうもそこに「人間の手」が加わりすぎているように思えたのです。感動的な音楽が流れたり、ナレーション(「コンダクター」と言われていました)が出しゃばりすぎていたりと、せっかくの「生物の面白さ」が「映画の面白さ」に成り下がっている感がしました。
 例えば肉食動物が狩をするシーンがあれば、そこで緊迫した音楽が流れたりナレーションが心配したりするわけですが、狩る側も狩られる側も「生きている」という点で平等なはずなのに、狩る側が悪者にされていたりするわけです。そりゃ狩られる側が可哀想なのは分かりますが、肉食動物だって狩に命を賭けています。この手のはむしろ逃げるより追う方が辛かったはず。「人間の手」が入ることで、せっかくの生命の賛歌が薄れてしまっています。
 どうもこの映画は「神の視点」ではなく「人間の視点」で物事を伝えようとしている様ですが、人間によって環境が破壊されて〜というオチを付けるのは良いとしても、そこに至るまでの生物の生き様に感情をこめたりするのは、なんか身勝手すぎやしないかと思えてきます。崩れ行く北極で生きるホッキョクグマの親子の感情を、人間が肩代わりするのは愚の骨頂ではないかと。ゴクラクチョウの求愛行動に人間と同じ愛情や努力を適用するのも、ゴクラクチョウ権侵害で訴えられる気がします。
 人間が環境を破壊してるのは誰の目にも明らかなわけですが(どこまで人間のせいかは分かりませんが)、だったら「これから地球の映画を撮ります。申し訳ありませんが、貴方達の姿をビデオに収めさせてください。音楽とナレーションを始めとした演出も付けますが、よろしいでしょうか?」ぐらいの控えめさを持って制作に当たるべきなのではないかと思います。当然抗議が来たら映画公開を差し止めるんです。
 北極のナヌーでも書きましたが、人間はそこまでバカじゃありません。生命の賛歌を見せられて「ああ、綺麗だな」で完結するだけの人は少ないと思います。あまり説教臭い事を言われるとかえって冷めます。
 尤も、逆に考える事もできます。生物の姿を描きながら人間の姿も描いていると。「こんなひどい映画を撮る人間ってのはどうにかしないといけないよね」と、泣いた赤鬼作戦です。あるいは、人間もありのままを描く事で(演出=人間)、「地球」という一つのテーマとして映画を完成させたと。人間を全く出さなくても人間の存在を匂わせているのです。そうとでも考えないと。


 ひどい文章ですが、映画そのものは本当に感動しました。時間に余裕があればもう一回観たいぐらいです。ただ、私はそこに人間の醜さを観てしまったという、それだけの話です。
 でも、たぶんこういうのは少数派なんだろうなと思うと、多数派の意見も聞きたいんですよね……。友達とかじゃなくて、全然知らない人の。