死神の精度

 夜中に観てきました。ちなみに、原作は読もうと思って積んであります。どこに積んであるかというと、本屋にです。つまり、まだ買ってません。ええ、そのうち買います。


 主人公は「死神」。死神の仕事は、不慮の事故などで死ぬ人間の前に現れ、「今死ぬべき人間か」を判定すること。ミュージックを偏愛していること以外に人間への興味は無く、自分の仕事の対象である「死」にも特別な感情を持っていません。
 「死」をテーマにしているものの、特別暗い話ではありません。むしろ死神は人間の文化に対し、ミュージックぐらいしか興味を持っていないので、何気無い会話にズレが生じたりして面白くなっています。これが単なるギャグではなく、死と人間への興味の薄さを示すキャラクター付けに近いので、死神の人間性(死神性?)が感じられて嫌味に見えません。
 人間はいつか死ぬ。当たり前の話ではありますが、私達は普通、「死」を意識したりはしません(私の場合、暇なときによく考えるんですけどね……)。しかし、それは「死神」も同じではないかと思えます。彼は当然多くの死を見てきたので、「人はいつか死ぬ」と事も無げに語るのですが、「ならば何故生きるのか」といった命題には答えることができないのです。
 彼は人間に興味を持っていません。「仕事」で様々な人間に接したりはしますが、社交辞令以上の意味はありません。そして、彼が「仕事」で人間界にやってくる時は、いつも雨が降っているのです。それは彼の心象風景そのものであり、「朝日を見たことが無い」と語る彼は、仕事に生きがいを見ていないサラリーマンのようです。
 物語は三章仕立てになっています。大雑把に分けて、「昔」と「今」と「未来」です。それぞれの物語は大体二十年ぐらいの間隔でしょうか。一見独立しているようで、三つの物語は微妙に絡み合っています。「密接」ではなく、ささやかな繋がりを持っている程度なのが興味深いところで、「死神」のどこか薄っぺらい人生(死神生?)を象徴しているようです。それでもお互いが繋がることによって、少しずつ死神の心が晴れていくのです。
 それでいて、それぞれのエピソードはどれも唐突に終わっています。それが「仕事」という乾いた関係だからなのか、「死の突然性」を表しているのかはよく分かりません。恐らく、いろいろ意味しているんでしょう。
 全体を通して、派手な映画ではありません。先に書いたように、重い話でもありません。人々がいつも抱えている、漠然とした雨雲のような心が晴れていく様を、死神という特異な存在で描いたのでしょう。そして、漠然とした感覚を払うには、「死」のような深いテーマが必要なのかもしれません。人はいつか死ぬのですから。
 そんなわけで(どういうわけだか)、なかなか面白かったです。最初は死神の変なキャラクターに癒されて、「死」という「当たり前のこと」を通して物語を描いていくという様には、素直に引き込まれました。