蛇足

 先日風野と他愛の無い話をしたのですが、上の話題でその話を思い出しました。
 その日、風野は「逆転イッパツマン!3C」が好きだと言っていました。何が好きかと問えば、「死の観念」が好きだと。
 「好きだ 好きだ あの声が」に始まり、「ずっと ずっと この胸に  強く 強く 生きている」と歌う、故富山敬さんと鈴置洋孝さんへの想い。大事な人は死んでしまったけど、大事な人達の「メニハミエナイもの」は自分の胸の中にある……、その気持ちがあるから大丈夫なんだと。そして、あくまでもヒーローソングとして、悲しまずに高らかに歌うのです。
 風野が言うには、人の死を悲しむのは簡単だし、人の死を笑う人だっているだろうけど、本当に大事なのは、そこに「想い」があるかどうかじゃないかと。「想う事の大切さ」を忘れずにいて、「忘れる時までは絶対に覚えていよう」という気持ちが、死者に対しての最高の礼儀なんじゃないかと言っていました。死者は、悲しんでもらうために死んだわけじゃないから……と。
 私は何も言いませんでした。人が死ねば悲しいという事実はどうしようもないものだと思いますし。ただ、まだ若いのにそういった哲学を持っているという事実は大切にするべきだと思い、否定はせずにおきました。


 話はそれますが、風野は私に自分の事を語ろうとしません。曰く「僕の人生より面白いものがいっぱいあるから」だそうです(こう書くと無駄にカッコいい……)。が、何年かの付き合いで、彼がかなり波乱万丈の人生を送ってきただろうとは想像できます。出会ったときの彼は「この世の地獄を見てきた」とでも言わんばかりの絶望感に満ちていましたし(事実、酷い鬱病だったようです)。
 そのせいでしょうか、風野は私以上に大人びていています。人生経験も、私より勝っている部分が多々ありますし(主観)。そんな「生き急いだ」彼がアイマスMADを作ると言い出した時、私はなんとなく嬉しくなったものです。そういう「お遊び」を体験する事で、もう少し幸せな人生を送れるようになるんじゃないかと。どうも風野はその性格上、損をしてばかりだったようですし。
 それから、風野は遊び続けています。鬱病から自力で脱出した彼が見つけた新たな趣味……と言うには偏っていますが、趣味を得たことによって、悟りすぎた彼の感性はなんとか一般的に戻ってきたという気がします。動画の中での彼は実に天真爛漫です。……それに比べて私は……いや、これは関係ありません。
 そう思い返すと、先日の話題はそれで良かったのかと……。その時は否定しませんでしたが……。
 風野、悟らなくても人は生きていけますよ。


 桃邪気Pの訃報を受けた風野が何をしていたのか、私は知りません。きっと、「想っていた」のだと思います。風野の哲学が正しいかは分かりませんが、同じ業界で「遊ぶ」人として、私も今回は乗ってみようと思います。
 ニコマスは「広い遊び場」です。遊び場で追悼はしません。ですが、これからも遊び続け、遊び疲れた時には、ふと「想って」みようと思います。それが追悼になるのではないかと。