くだらねー……と思いつつ

 今日の日記は、良い子は読んじゃダメです。




 唐突ですが、私は割と腐女子です。しかしなんというか、男の棒を男に入れる感覚がどうも理解できないのです。男同士が必要以上に引っ付いたり、ありもしない関係を妄想したりするのは大好きなのに。
 「男が男を好きになっても良いじゃない」なんて感覚は好きです。そんな漫画を読むとささやかな幸せに包まれます(でも、そういう層を狙った描写はわざとらしくて嫌い)。でも、何故か肉体関係になると途端に萎える。なんでだろう。
 ためしに、男と女の、いわばノーマルのエロ漫画を幾つか読む私。……うむ、エロい。そして面白い。結構なことだ。ついでに女と女のエロ漫画も読んでみる。……男と男ほどではないが、軽い嫌悪感。……どうも私の理解の到達点はここにある気がします。
 極端な話、「穴に棒を突っ込む」のは嫌いじゃないです。むしろ好きですし、そのために穴も棒も存在しているんですから。しかし、女の穴なら良くて男の穴が良くない理由ってなんだろう(女同士の場合、穴しかないから不条理に感じるのかも……)。
 そういう話を風野君にしたら、「お尻に入れると痛いと思う」とか返ってきました。おお、単純明快だ。つまりなんですか、穴に棒を入れる行為は良いけど、想像を絶する痛み(私は未経験です、念の為)があるからイカンと。どうでもいいですけど、酷いセクハラをしてしまったと今更気づきました。
 そうか、その辺りを「愛」で誤魔化してしまうボーイズラブは許せないんだ。仲の良い人達が仲良くするのは実に自然なのに、いざ行為に至るとそこに不自然が生まれる。「初めてか?力抜けよ」じゃ済まない痛みかもしれない、それどころか「らめえ、そんな大きいの入らない」の世界かもしれない。私が腐女子になりきれないのは、その辺りをお花のトーンでスルーできないからなのか。


 妄想って難しいですよね。痛くない妄想もできるはずなのに、何故か奇妙なところで現実を意識していたりする。男同士が裸で抱き合って寝るのはごちそうさまでも、ズコバコやるのは大暴投。
 考えてみれば、私は妄想の中でいろいろな制約を付けています。例えば、「料理が壊滅的に下手なキャラ」って、「そもそも爆発する料理ってなんだよ」とか思いますし、「愛があれば炭も食える」のも幻想だとか思っています。特に後者に関しては、「愛が最高の調味料」という理論自体は大好きなんですから、なんだか馬鹿みたいです。
 たまには、自由な妄想をしてみようかしら、とかなんとか思います。そもそも、現実に制約があるからこその自由な妄想の筈ですしね。でもやっぱり、お尻に入れると痛そうだよねえ。美形キャラのお尻は大抵引き締まっていますから、尚更入れにくそう。あ、引き締まったお尻自体はすごく触ってみたい。力強さの中にほのかな柔らかさがありそう。
 こんな事を漠然を考える私は本当に腐女子なのか疑問だったりもします。……単に見境が無いだけなのかな?


 ところで、本屋に入ると、漫画のコーナーの片隅にありますよね。アンソロジーコミック。私は読んだこと無いのですが、ああいうのは大嫌いなんですよね。不思議な話。何故か纏う空気からして近寄れない。でも、あの手のコミックってどの程度の描写まで許されているんだろうとか思うとちょっと興味津々なんですが。