宣言するとダメになる私

 ちょっと小物がなくなっていたことに気づきコンビニに行ったんですが、「○○円お願いします」って言われました。お願いされちゃいました。なんとなく不愉快に感じたのですが、丁度払いました。
 「○○円になります」は分かるのですが、お願いするものなんでしょうか。お会計というものは。私は敬語の類をまともに学んだ事がありませんが、なんとなく違和感。
 「お預かりします」の意味は分かります。多くお金を払ってしまったので、「これからお釣りを出しますので、一旦お預かりしますね」といったニュアンスなんでしょう。あれ?じゃあ丁度の場合は何て言うんだろう?……なんだか分からなくなってきました。コンビニでの会計は最初の疑問に気をとられて後の言葉を聞いていませんでしたし。


 全然関係無いのですが、占い本とか多いですよね。昔からかもしれませんが、最近になっても多く感じます。でも、生年月日とか血液型から判断する占いって何の根拠も無いものが非常に多いのに(最近になって確立されたものは特に顕著ですよね)、何でそういうものを信じようとするんだろうか、とちょっと考えました。
「占い本って、なんで多いんだろうね」
「他に信じるものが無いからよ。人生に張りも誇りも無い人でも、生年月日とか血液型は誰でも持ってるから、丁度良いのよ」
「単なる数字や記号の羅列に意味を見出すって事?そりゃ哲学的だ」
「自分が持ってる唯一のものに、突然意味が現れたら、誰だってロマンを感じるわ」
 なんて、わけの分からない脳内会話をしていると、なんとなく結論を出す事ができました。思考って、ひたすらに考えてもいいですけど、掛け合いにするとテンポ良く進みますよね。
 要は、「疑似科学はロマン」なんです。自分に自慢できるものが何一つ無い時、「実は特別な星の元に生まれた(=生年月日のツキが良い)」といった啓示を受けたら、ちょっとした感動に違いありません。血液型占いとか性格診断も同じで、自分の中に流れる液体に意味があるとしたら、それはステキなんでしょう。血液型なら同じ人も多いですから、他人との感動の共有もできます。
 現代社会は価値観の多様化がどんどん進んでいますから、尚更に「自分にしかないもの」が少なくなっているんでしょうね。新しい分野を開拓しても、すぐに他の人に使われたりして、あっという間に埋もれてしまう。やがて自分に自信が無くなり、うずくまっていく。最後の残るのは、「生年月日」とか、「ありふれてるけど意味の無いもの」であり、そこに意味を持たせた占い。壮大なロマンを感じてしまうではありませんか。
 勿論、この手の占いというものは膨大な量の統計(=根拠ある法則)と、その統計を使いながらも反証できる知性が無ければできません。結局「例外」はどこの世界にもいますから、「必ずしも合ってるとは限らない」という前提無しに占いなんてしちゃいけません。


 疑似科学はロマン。ゲーム脳とはボケ老人の妄想ではなく、「新しい文化であるゲームなんて滅びてしまえ」と思った男の孤独なロマン。マイナスイオン電器屋の売り文句ではなく、「人には見えない量子力学が人体を健康にする」と信じたい未知覚のロマン。ピラミッドパワーはプラシーボ効果ではなく、「壮大な歴史を持つものは壮大な力を持つに違いない」と確信した歴史のロマン。MMRなんかロマンの塊。
 疑似科学、個人的には大好きです。意味の無いものに意味を持たせるという発想は、私には考え付きませんから。ただ、それを頭から信じるのはイカンよ。