甲本ヒロトは正統派のロックンローラーだよなあ

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 7月11日は山本正之の誕生日にして、「ザ・コーツ」の解散日でもあります。不思議な巡り合わせと言えば、そうなのかも。
 一応、解説。
 ザ・コーツとは、ヒロトTHE BLUE HEARTS以前に組んでいたバンドです。既にある程度の音楽性を確立していたので、解散後も一部の曲はブルーハーツで発表されています。しかし、この曲で使われている「Oh destination」だけは山本正之のアルバム『アノ世ノ果テ』でしか聴けません。ザ・コーツのメインナンバーであったこの曲がどうしてそういう扱いを受けているのかは、まあ聴いてもらえば分かると思います。
 ヒロトMASAの関係は82年、逆転イッパツマンの時代まで遡ります。この頃のヒロトはザ・コーツを始めたばかりだったと思います。そしてタイムボカンシリーズと、音楽担当の山本正之の大ファンだったヒロトは、相方の亀山哲彦を連れてアフレコ現場を見学に行きました。理由は勿論MASAに会いたいから……と、同じようにボカンで音楽をしていた神保正明さんが「実は山本正之の別名義で、同一人物なんじゃないか?」といった疑問を解決するためだったとか(確かに共作は多いんですけどね)。
 そして、突然のファンの来訪と、彼らも音楽をやっていると聞いたMASAは多少驚きながらも、折角の縁という事で一緒に食事をしたりライブに顔を出したりしたそうです。そういった付き合いの中で音楽性と人間性を高く評価したMASAは、自分のオリジナルアルバムの演奏やコーラスに参加してもらったり、逆に曲を提供したりするようになりました。特に亀山哲彦はザ・コーツ解散後、MASAに弟子入りして演奏や編曲を担当する事になります。究極超人あ〜るの「鉄の円舞曲」等は完全に亀山さんの作曲ですね。


 更に言えば、「過ぎし日のロックンロール」が存在する背景というのも興味深いんですよね。「曲中曲」という非常に珍しいパターンであるのもそうなんですが、実はこの曲が作曲されたのは1990年、ブルーハーツがすっかり世間に認知されている頃です。当然ザ・コーツのメンバーもそれぞれの道を歩んでいます。
 更に言えば、これが収録された『アノ世ノ果テ』が発売したのは95年初頭、ブルーハーツは解散直前で、実質的には活動していない頃でした。ヒロトはその後ザ・ハイロウズで再びブレイクするわけですが、その間に「過ぎし日の〜」を歌っていたのです。ふと歩みを止めている時に、自らの過去を思い出したような、まるでこの曲そのままの状況になっているわけです。
 この曲は詩もメロディも、とても優しいものです。山本正之と言えばアニソンやコミックソングが有名だと言う人が多いですが、飯田線のバラード等にも見られる「優しさ」こそが真骨頂ではないかと思います。そして、その中に「ロックンロール」の代表として、小さなライブハウスで叫んでいた「ザ・コーツ」を織り込むそのセンスは見事としか言いようがありません。
 そしてヒロトも、自分のバンドで発表する事もできるのに、尊敬する人物とはいえ、メインナンバーを他人のアルバムに収録させてしまうところに、この曲に対する特別な思いを感じずにはいられません。きっと、この曲は「ザ・コーツ」でしかあり得ず、そして別の道を歩んでいる人だからこそ、託す事ができたのでしょう。
 上の曲以外にヒロトやザ・コーツが深く関わっている曲は、『才能の宝庫』のラストソング「セッション」や、『怪盗きらめきマン』ED「フララーン・ランデブー」等です。前者は生演奏のメンバーがザ・コーツで、ヒロトが歌った別バージョンもあります(これも作曲は90年)。後者は完全にボカンの曲でありながら、歌唱はヒロト。その縁で、MASAのライブにゲスト出演した事もあります。他にも『COLORS』の「a boy with buddy」に深く関わっていますね。
 あと、ヒロトは歴史シリーズでは大体コーラスをやっています。というか「過ぎし日の〜」の一つ前の曲「源平超歴いざ鎌倉」では「ドブーンドブーンブクブクブックブー!」とかバカっぽい声を張り上げてるんですから、ギャップがすごいことになっています。言うなれば、「ヒロトの無駄遣いに定評のある山本正之」といった感じです。


 ついでだから動画についてもちょっと触れておきます。曰く「いつもなら『アイマス成分を際立たせるか』『元ネタに忠実に作るか』を意識するけど、これはどっちにもせず、大雑把なストーリーを作るだけで、細かい解釈は自由にできるようにした。僕自身、裏設定は考えてない」だそうです。つまり、この動画に登場しているのは菊地真秋月律子ではなく、しかし甲本ヒロトとザ・コーツのメンバー(あるいは山本正之)の比喩でもなく、「かつて同じ道を歩んでいた二人」でしかないと。765プロの数年後の姿かもしれないし、そうじゃないかもしれない、とにかく「キャラクター性」を排除した動画なんだとか。
 私はこの動画に、未来のニコニコ動画を観た気もします。最近になって権利者削除が活発になっていますから(違法なんですからしょうがないんですけどね)、このままニコニコ動画は衰退していくかもしれません。そんな中で、ニコニコ動画の中で評価されたアーティストの卵がメディアに出るようになり、「昔のその人」を知っている誰かが、偶然街中で昔の姿を見るといった、「やがて来る思い出」を感じました。
 そんな時、もう一度踊れる場所が残っていると良いですよね。