高木順一朗の過去を妄想してみた

 アニメだけど、ドラマかもしれないという気分で。


『J9って知ってるかい?昔、太陽系でイキに暴れまわってたっていうぜ。今も世ン中荒れ放題。ボヤボヤしてると、後ろからバッサリだ!……』


 僕が所用で社長室に入ると、そんな声が聞こえてきた。見ると、部屋の備え付けのテレビにアニメが流れている。
バクシンガーですか、懐かしいですね」
 社長は相変わらずの黒尽くめで正体不明だが、そのアニメ「銀河烈風バクシンガー」を観るその目はどこか優しい。
「うむ、今は亡き国際映画社の名作だよ。今観れば作画もコンテも稚拙だが、それら全てを吹き飛ばす『ロック』の魂がある」
 曰く、「J9はOPとEDは神で、本編はどうでもいい」等と評価されていたりもする。事実、ストーリーもありがちの連続で、目新しいものは無い。しかし作品全体に漂う空気が「ロック」であり、そこに惹かれる人は多い。
J9シリーズは全て作風が違いますが、これが一番好きだと言う人も多いですよね」
「好みにもよるが、一話完結に近いブライガーやサスライガーよりも、大河ドラマの要素を孕んだバクシンガーは、毎週の展開が気になるからじゃないだろうか」
「なるほど。しかし僕はサスライガーのアダルトな雰囲気も好きですけどね」
「うむ。しかし、サスライガーの世界観は、バクシンガーの動乱期を経てこそのものだと思っている。他にも、ブライガーの時代では悪役だったカーメン・カーメンが偉人になっていたりと、現実の歴史にもあり得る事を描いているサスライガーは興味深い」
「それだけに、中途半端な形で終わってしまったのは寂しいものがありますね」
 実際の放送では、壮絶なラストのバクシンガーから一転して始まったサスライガーはギャップが激しく、シリアス展開で掴んだ視聴者を再び離れさせてしまった。更にこの頃の国際映画社は経営も上手くいっていなかったので、一年の予定だったサスライガーは43話で終わってしまった。おかげでシリーズに深く関わっていた、脚本の山本優と音楽の山本正之は、二人して非常に落ち込んでしまったという。特にその頃の山本正之は別のシリーズアニメでも打ち切りを経験しているので、音楽を止めようかとすら思ったそうである。
「今ではDVD-BOXこそ出ているが、J9に欠かせない要素である音楽集がプレミアになっているのは非常に残念だ。会社として残っていれば再販もしやすいのだろうが……」
 山本正之がJ9のブライガーバクシンガーで作った音楽は、タイムボカン等に見られるコミカルさとは一線を画す「ロック」であり、更に作品世界に合わせた和風のテイストも孕んでいるので、まさに「J9ロック」という真似の出来ないジャンルになっている。一方サスライガーで音楽を担当したのは久石譲。宮崎アニメにその人ありと言われた彼の、ナウシカで評価される直前の仕事であり、アメリカのギャング映画のようなノリは今となっては想像できない作風かもしれない。
「しかし、何故今になってバクシンガーなのですか?」
「うむ、君にはまだ話していなかったね。実を言うと、バクシンガーは私がまだ俳優だった頃の代表作なのだよ」
 それは初耳だった。というより、社長の過去自体がよく分からない。
「俳優だったんですか」
「そうだ。『ドン・コンドール』ことディーゴ・近藤を演じていた。あの頃の私は、まだ若かったな……」
 それは、いわゆる「中の人つながり」というわけではないのだろうか……?
「実を言うとね、私が黒にこだわりを持っているのも、ディーゴが色黒だったのにあやかっているのだよ。最初は撮影現場での役作りだったんだが、演じているうちにディーゴに感情移入してしまってね……。あの『烈』の精神を忘れないように、黒をまとっているのだ」
 ディーゴ・近藤。銀河烈風隊の局長だ。画面的な主役の「ビリー・ザ・ショット」こと真幌羽士郎と、ドラマ的な主役の「諸刃のシュテッケン」ことシュテッケン・ラドクリフの二人と共に暴走族「烈」で暴れていたが、動乱の時代に一旗あげようと烈風隊を設立、厳しい部隊の中でおおらかな性格を持ち、人望を集めていた。
 しかし、最期はあまりにもあっけないものであった。自分達が育ち、民間人が多数生活するアステロイドを戦場にするわけにはいかないと戦場を移す協定を結んだまでは良かったが、その前後に新太陽系連合の勇み足による進攻が始まるのを知ると、自らの提案に責任を持つため、たった一人で量産型バクシンガーに乗り込み、艦隊を道連れに玉砕してしまった。
 新太陽系連合はそのおかげで戦力を大幅に失い、更に「最大の強敵バクシンガーが失われた」と思い込んでしまったので、苦戦を強いられる事になる。しかし銀河烈風側もディーゴを失い、更に最終決戦間際では「かっ飛びの佐馬」こと佐馬之介・ドーディが暗殺されてしまったので、バクシンガーパイロットが二人も欠けた状態では合体すら適わず、バイク形態のまま出撃し、全員が玉砕してしまう事になる。
 ディーゴは死ぬ間際にメッセージを残していた。「『烈』に涙は似合わない、笑っていけ」と。「アステロイド・ブルース」の歌詞そのままの言葉だった。
「ディーゴは私の中でも特別な役だ。それからもいろんな役を演じさせてもらったが、ディーゴのような生き様を示したいと思うと、プロデュース業のような指導者の立場に魅力を感じるようになってきてね……。その頃だよ、神田桃君と出会ったのは……」
「神田桃……、『ワンダーモモ』ですね」
 その素性には謎も多く、活動期間も短いが、人気実力ともに伝説的アイドルとして業界の内外に知れ渡っている。しかし765プロにとっては、高木社長が初めてプロデュースしたアイドルでもある。一介の新人プロデューサーに過ぎなかった若き日の高木社長は、モモを売り出したことで一躍やり手として評価され、三十代の若さで独自に芸能事務所を設立するまでに至った。
「彼女をプロデュースできたのは幸運だった。あの頃の私は想いばかりで、実力が伴っていなかったからね。今思えば、プロデュースと言っても彼女の魅力に助けられていたのが実情だったよ。しかし活動終盤にもなると、私もどうにか一人前になれたという意識を持てた。それぐらい、彼女はすごいパワーを持っていたよ」
「…………」
 社長の言葉が謙遜なのか、事実なのかは分からない。しかし、プロデュース業に対する想いの強さだけは理解できた。
 社長は「ワンダーモモ」以降、暫くは超売れっ子のアイドルを何人も売り出していたが、近年、というより僕が入社する前後からは目立った活動をしていない。それは、僕のような後進を育成する意志があるのかもしれないし、あるいは「ひたすらに売るだけがアイドルではない」という考えあっての事かもしれない。実際、現在の765プロに所属するアイドルは、いわゆる「売れ筋」とはやや外れている子ばかりだ。勿論付き合ってみると良い子ばかりなので、それをどうやって世間に示していくかがトップアイドルへの道ではないかと思う。
 流行は日々変化している。流行に乗るのはアイドルとして当然だが、それだけではトップにはなれない。むしろ、自分から流行を作り出してしまうのが本当のアイドルであろう。その為には、その子の中に確固たる信念が存在していなければならない。自分を完全に引き出せる人間は、誰よりも強い。
「君も、アイドルの女の子に振り回されるのも良いが、そこから何かを学び取らなければ意味は無いよ?常にそのような意識を忘れずに活動してほしい。これは女の子のためでもあり、君のためでもある」
「はい」
「うむ。……ところで、モノは相談なのだが……」
 社長はテレビに視線を移した。画面には先ほどのバクシンガーが流れている。
J9シリーズ、そろそろ作ってみないかね?君の最新作で、ロックへの想いは伝わったから、いけると思うよ?」
 社長は、どことなく期待しているようだった。


 期待しているのは私の方ですね、はい。