鶴の恩返し・夕鶴

 外では帽子を被るのが習慣の私ですが、今日は雨に降られたので帽子が濡れてしまいました。最近被りっ放しだったこともあり、帰ってきてから洗ったのですが、その後野暮用で少しだけ外出する際、丁度良い帽子が無かったのでそのまま出たんですよ。そしたらなんていうか、寝巻きのまま外に出た気分ですよ。一歩間違えれば頭のおかしい人なのですよ。帽子を被ってないから頭がおかしいってのは上手いね、こりゃ。さあさあ、皆も笑ってください。


 ところでよぉ、『オペラ』ってよォー見たことあっか?おたく。オペラ。
「オペラ?音楽の?セリフを言えば済むのに、なぜかイキナリ歌い出して状況を説明するあの演劇の事か?……ないけど、なぜそんなことを聞く?」
 素朴な疑問……、オペラを見るから『オペラグラス』っていうんだよな?でもあれよォー舞台で歌ってるヤツらさあ 体重120kgとか150kg超とかゆー巨体じゃん。なんでオペラグラス使ってそいつら見るわけ?いらないじゃん。でかいんだから。
 ……てなわけで先日、オペラ「夕鶴」を観に行きました。一応音楽とかコンサートとか好きな私ですが、オペラはほとんど縁が無くて……、それこそ上のジャイロのような感情ぐらいしか無かったわけです。しかし今回チケットを貰ったので、話のネタにでもと思って行きました。……が、実際のところ、そんなキャラ見分けのつかない巨体ではありませんでした。うーむ、残念。オペラにどんな幻想を抱いてるんだ私は。
 夕鶴とは、要するに鶴の恩返しを戯曲化したもので、それを團伊玖磨がオペラ用に作曲したものです。鶴の恩返しはモノによってストーリーや登場人物が微妙に違いますが、この「夕鶴」では鶴(女の名前は「つう」)を助けるのが若い男の「与ひょう」で、与ひょうの商売相手でありそそのかす役割で「運ず」「惣ど」の二人の男が登場するといった感じです。そして、「金の価値を語る与ひょう」「二人で静かに暮らしたいつう」といった、社会批判のような内容も孕んでいるのが特徴でしょうか。……正直、民話に社会批判なんてクソ食らえという気もするのですが、まあそれは置いといて。
 そして、今回の夕鶴の特徴として、「日本とメキシコの友好400年記念」というものがありまして、それを象徴する要素として「キャストは全員メキシコ人だが、全員日本語の歌を歌う」というジョースター卿もビックリの逆転の発想。尤も、私達日本人も平気で英語の舞台とか出てますから、何の問題も無いんですが。
 まあ、そんな事はどうでもいいんですよ。オペラとは言うものの、良い意味で「一般的イメージのオペラ」っぽくなくて、気楽に楽しめる構成、演出になっていましたし、それでいて衣装は日本とメキシコの文化を折衷したような、不思議な世界を作っていました。どこか民俗衣装的なきらびやかな服を着た商売人等、昔の経済状況から考えるとおかしいのですが、むしろ舞台ならではの面白さになっていて、観ていて楽しかったです。
 しかし、一つ気になったのは、「メキシコ人が日本語を歌う」部分なのですが、これが「お話に出てくるような昔言葉」だったんですな。「俺ら東京さ行ぐだ」みたいな。そういう意味では特定地方の方言と言っても良いかもしれません。それを「語る」「歌う」という、なんというか変な違和感。
 勿論やってる本人達は大真面目ですし、それで笑いが取れるほどでもないんですが、これは歴史的あるいは地方のリアリティを求めての結果なのか、それとも分かりやすさを重視したのか、理解に苦しむところでした。「つうさ、どこいっただー!」という叫びをオペラっぽく朗々と歌われると、漠然とメキシコの人に申し訳なくなってくるのです。
 この「昔言葉」ってのは、一体どこから生まれたものなんでしょうね。なんとなく、昔の農民とかはこうやって喋っていたという印象がありますが、何しろ昔の人には会った事無いですからねえ。