ガンダムの呪縛

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 律っちゃんがガンダムXをカバーするんですって。確かにコレはなかなかの名曲ですけど、律っちゃんのキャラ的にはどうなんでしょう。まあ、律っちゃんが歌うならなんでもOK!みたいな感情も芽生えている私。


 どうでもいいですけど、ガンダムXってそんなにつまらないわけじゃなく、むしろ面白かったですよね。でもやっぱり世間的にはむにゃむにゃの評価を受けているのは何故かと思えば、これが「ガンダム」だからに他ならないんじゃないかなあと。
 Vガンダムでアレな事になった「本筋」から離れ、GとWで賛否両論ながらも結局は人気を獲得したガンダムは、既に「アニメシリーズ」ではなく「ジャンル」として成立していたわけで、その中でないがしろにされていたニュータイプであるとか、そもそものガンダムの持っていたテーマであるとか、そういう「ガンダムガンダムたる証」を現代に蘇らせようとしていたのが機動新世紀ガンダムXなわけです。あの「荒野に佇むガンダム」は、正に消費され続けてボロボロになった「ガンダムの本質」を端的に示していたといえるでしょう。
 で、「ガンダムガンダムたる証」って、具体的に何なのか示せる人がどの程度いるでしょうか。そして、それを示せたとして、それを娯楽作品として視聴に耐えうるものになるでしょうか。つまりはそういう事で、ガンダムXは正に荒野に佇むかのイメージの如く、アニメとしてボロボロに疲れ切った作品だったのです。そこで「ガンダムの呪縛」に囚われず「戦後を描いた戦争アニメ」として考えるならなかなかだったと思いますが、それがガンダムであるが故に余計なしがらみに縛られていた気がしてなりません。
 結局、ガンダムXは「ガンダムをメタ的に描く」という構想を皮肉にも体現してしまう結果になりました。コロニーが落ちまくるという衝撃のアバンタイトルから始まり、ニュータイプに縛られて争い、解放されていく人達の姿は、「こんなグダグダなジャンルはもうお終いにしようぜ」という清々しさに満ちていた気がします。放送短縮という1stガンダムと同じオチな辺りも、「ああ、こんなのがガンダムだったなあ」と思い返させるには十分だったのではないでしょうか。アニメを最終話まで追っかけるのは疲れる、それが長く続いたガンダムシリーズなら尚更で、そんな中でガンダムXは走馬灯のように消えていったのです。
 救いがあったのは、主人公のガロードが普通の人間であり続けたという事。「ガンダム」に関わった視聴者の代表とも言える「普通人主人公のガロード」は、「好きな女の子のために頑張る」という恥ずかしいまでにシンプルな理由で行動し、間違ってる事は間違ってると言えて、余計な信念を持たない故に強い活力で戦い、ガンダムの時代を終わらせていきました。そういう普通さは「ああ、いろいろあったけど、良いアニメだったなあ」と視聴者が普通のアニメに抱くような感想に通じるものがあったんじゃないでしょうか。「ガンダムX」という作品のオチとしては弱いものだったかもしれませんが、「ガンダムシリーズ」のオチとしては相応しいものだったと思います。


 ガンダムって、結局なんだったんだろう?そういう疑問が漠然と流れ続け、そして荒野に消えていったガンダムシリーズは、やがて歴史の影に埋もれ、ホワイトドールとして発掘されます。「ガンダムの終焉」であるガンダムXと、「ガンダムの収束点」である∀ガンダムが、同じ「大地に根ざしたガンダム」という辺りは狙ったのかどうか知りませんが、∀ガンダムは単体でも面白いし、ブレンパワードから連続して観るともっと面白いのですが、こう考えるとガンダムXと繋げて観る事にも別の面白さがある気がします。今度機会があったらやってみたいですね。