仮面ライダー超・電王

 頑張って名古屋まで観に行きました。それにしても、名古屋駅でどうして人が遭難しないのか、不思議でなりません。映画館に辿り着くのにもえらく時間かかりましたし、ホント容赦無いでえ。
 んで、全然映画観てなかったのかというとそうわけでもなく、単に自分の空気が歪んでて日記まで行けなかっただけなのですな。でもようやく「書こう」という気になれました。いやあ、良かった良かった。


 一体何が「超・電王」なのか。まず「仮面ライダー電王」自体は前の映画「さらば〜」で終わってしまったから、みたいな意味があるんでしょうね。そこでさっさと終わらせておけば良いのに、なんで続けるんだろう?と思って観てましたが、ああこりゃあ確かに続けたくなるかもしれないなあという感じの映画でした。
 電王は言うまでもなく、時間をテーマにした物語です。そして本編では主人公・野上良太郎が物語の中心となっていたのは当たり前ですが、電王の世界観の必然性とかはむしろ副主人公?である桜井侑斗の方がメインでして、今回の「超・電王」はそちらも掘り下げた内容になっています。オチは予想できましたが、オチまでの流れを丁寧に描いているのでなかなか満足です。
 それでいて、電王の基本である「良い意味で単純、シンプルに子供向け」といったラインがあるおかげで、クライマックスフォームにジークまで入っちゃったり、NEW電王にデネブが入ってNEWベガフォーム?みたいのになったりと、娯楽要素がたっぷりです。「いろんなライダーがいっぱい」「いろんなイマジンがいっぱい」てな大雑把さは、何も考えずに楽しめました。
 敵はイマジンではなく、鬼。肉体派の弟と知性派の兄が野望のために過去と現代に分かれて暴れる、というありがちなシチュエーションですが、お互いを強く信頼しあっている、兄弟愛が描かれていた辺り好感が持てます。逆に言えば敵らしくない人間臭さの持ち主でもあったのですが、私はこういうの大好きですから構いません。あと弟の変身体がどことなくライダーっぽいなあと思っていたら、なんと「THE NEXT」のV3スーツを流用したものらしいです。確かによく観ると、ベルトがダブルタイフーンです。でも兄の方は特に何かを流用したわけでもないみたいですから、どうせならライダーっぽいデザインで合わせてくれた方が良かった気もします。カラーは金と銀で分かりやすいコンビだったのですが。
 それとこの映画は一応ディケイドも登場して、本編とリンクする、という触れ込みだったのですが、「ああ、無理矢理入れたんだな」というのがよく分かるぐらいの出番の少なさ。特にディエンドは一体何をしに来たのやら、ディエンドが召喚した三体のライダーの方が活躍しているという有様です。まあ公開時期とか考えると仕方ないんでしょうけどね。


 そして、世間はゴールデンウィークです。とにかく親子連れ、若者が多いこと。私が行った時間帯は自由席だったのですが、隅っこの方がようやく空いていたぐらいでした。まあ私は観れるだけで良いのでその辺りはどうでも良いのですが、私の後に来た親子連れが席を探して迷っていたりと、なんだか一人でふんぞり返ってる私が申し訳なくなってしまいました。
 申し訳ないといえば、ディケイドの存在。恐らく「ただの子供」は電王よりもディケイドを楽しみに観に来ているんだろうと思いますが、ディケイドもディエンドも笑っちゃうぐらい出番が少なかったので、「電王ファンが無理矢理映画作ってごめんね」とか意味不明な事を考えてしまいました。実際、帰り際にすれ違った子供は「ディケイド二回しか変身してなかったー」とか愚痴っていました。映画そのものとしては面白かっただけに、子供の希望に応えられなかった辺りは残念というものではないでしょうか。
 ああでも、こういう映画を観に来てる幼い子供ってのは、ストーリーなんてどうでもいいというとアレですが、ドラマパートではぐずり出していたりしていましたから、そういうバランスって本当に難しいんでしょうね。……そういうアクションとドラマの両立性を突き詰めると、富野作品における「戦いながら会話」になるんでしょうか。
 次の映画では「全ライダー」だそうですから、昔のライダーを子供が知っているかどうかは別として、アクションシーン満載で子供が楽しめるんじゃないかなあと思います。そうあってほしいものです。