ボカン伝説とか円盤星人UBOとか

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 ワンダースワンを「スワン」と略するのはなんだか新鮮な気が。まあ口に出して言う時はそうかもしれませんが、文章で書くなら「WS」じゃないでしょうか。


 ワンダースワンが生まれた時代、それは「時は正に世紀末」といった感じの1999年。当時の携帯ゲーム機市場はPSPニンテンドーDS(共に2004年発売)はおろかゲームボーイアドバンス(2001年)も無かった時代で、ゲーマーなら持ってるのは普通でも、一般層を引き込む程の勢いは無かったと思います。一時期崩壊寸前だった市場を復活させた任天堂のお化けソフト「ポケットモンスター」が発売したのが96年でしたから、景気が上昇しつつ「そろそろ新しいハードがほしい」という声が聞こえてきそうな時代だったんじゃないでしょうか。初代ゲームボーイなんて89年の発売からほとんど進化していませんでしたからね。
 しかし、そのぼやけた液晶に4色(正確にはモノクロ4段階)しか表示できないゲームボーイ、ポケットサイズになったりライトが付いて電池が単三になったり、あるいはスーパーファミコンに繋いで気分だけはリッチになれたりとマイナーチェンジを重ねてきつつも昔の形を保っていたのですが、それが98年になって「ゲームボーイカラー」となって生まれ変わりました。32000色中56色を同時に使えるようになり、それに併せてソフトも専用の大容量のものが売られるようになりました。据え置き型に比べて小さくて利益も少ないであろう携帯ゲーム機でも、そこまでのものが作れると証明されたわけで、実際売れました。
 売れるものに飛びつくのは消費者だけではなく、生産者も流行に乗ろうと様々な携帯ゲーム機を開発しました。それがSNKネオジオポケットであり、バンダイワンダースワンだったわけです。ただ、ゲームボーイがカラーになったからと言ってすぐカラー携帯ゲーム機を作れるはずはありませんから、「ポケモンで復活したゲームボーイ」に対抗して開発したものと思われます。よって、双方とも白黒でした。ただ技術力的にカラー機を開発する事もできたようで、双方とも短期間のうちにカラー版が発売されています。このモノクロ版を「時間稼ぎ」と見るべきか「市場を舐めていた」と見るべきかは分かりませんが、特にネオジオポケットの発売日はゲームボーイカラーの僅か一週間後でしたから、命知らずなのは間違いありません。というかSNKはこの後潰れましたから、本当に自分の命を知らなかったとしか思えません。
 改めて時系列を整理すると、ゲームボーイカラーネオジオポケットの発売日が共に98年10月で、カラー版が発売したのが僅か五ヵ月後の99年3月でした。そしてワンダースワンのモノクロ版が発売したのが、ネオジオポケットカラーの二週間前でした。なんで底辺同士で潰しあうんでしょうか。ゲームボーイがカラーになって、ネオジオですらすぐカラーになろうとしていて、それでなくともゲーム機はどんどん高性能になっていくこの時期に、モノクロである理由はなんでしょうか。それは「軽さ」に集約されます。電池の持ちであったり、価格だったりと、とにかくワンダースワンは「軽い携帯ゲーム機」でした。しかし(ネオジオもそうですが)ソフトは決して軽いものではなく、そうやって見た目を犠牲にした代わりにゲーム性を追及したような良作佳作が結構多かったのです(まあ、バンダイというメーカー自体はそれほど優秀ではないんですけどね』。人間中身で勝負だ!というわけですね。
 でも売れませんでした。確かに中身は大切ですが、性格が良い人でも外見を磨いてない人には、あまり人は惹かれません。それは人間が本質的に面食いだからではなく、性格が良い人は自然と外見にも気を使うからで、外見が駄目という事は中身にもやはり何かしらの問題があるのではと疑ってしまうものです。スワン君の横にいたネオジオポケット君はカラーになってそれなりにイケメンになりましたし、ゲームボーイカラーさんは外見も中身も、何より経験もあるという完璧超人でしたから、そこに「人間中身だ!」と白黒で突っ込んで、果たして勝てるでしょうか。メーカーの持ち味のおかげでそこそこは長生きしましたが、2001年にはゲームボーイカラーさんを更に上回るゲームボーイアドバンスさんが登場したおかげで、ただでさえ強力だった任天堂の独占市場のような状況になってしまいました。スワン君はその後2002年にカラーを更に高性能にしたスワンクリスタルを投入したりもしましたが、2003年には完全撤退と相成りました。
 なお、その後2004年にはニンテンドーDSプレイステーションポータブルが現れて、ソフトにカセットではなくディスクを採用して大容量で攻めるポータブルに対し、DSはタッチペンによる分かりやすさ、親しみやすさを追求するといった住み分けがなされたので、お互いがそれなりに鎬を削りつつも、完全に潰すような状況には至っていません。
 こうやって振り返って改めて思うのですが、ワンダースワンは本当に売れると思っていたのでしょうか?興味深いのは、ネオジオポケットがカラーになるまでの期間は僅か5ヶ月で、これは開発当初、あるいは開発途中で既にカラー版の発売を視野に入れていたとしか考えられず、事実モノクロ版と同時発売のソフトの中には、既にカラー対応の機能を搭載していたソフトがありました。これもあるいは、ゲームボーイがカラーになった事を受けての流れなのかもしれません。しかし、ワンダースワンが発売した時期は上記の通りで、カラー版は2000年12月と、一年九ヶ月も開いています。これが時代の流れに乗り遅れた結果なのは明らかですが、ひょっとすると本当にカラー版は出すつもりが無かったのかもしれませんね。
 こうして考えると本当にワンダースワンに良いところが無いですが、この子はこれでも結構面白い面もあるんですよ?まずボタン配置がハードの左右だけでなく上部にも付いているので、「縦持ち」ができます。すると通常横長の画面が縦長になるわけで、それだけで楽しみ方が倍ぐらいになります(中には「斜め持ち」なんて突飛なソフトもありました)。後にPSPやDSでも縦持ち機能があるゲームが発売されていますが(アイドルとかラブとか)、これはあくまで機能であって、デザインの時点で縦持ちを搭載しているハードは他にありません。また、さっきも言いましたが、とにかくワンダースワンは軽いのが大きな利点です。軽すぎてオモチャっぽいデザインになってしまい渋系を好むゲーマーからは敬遠されたのが残念ですが、当時のカラー化の流れに対してストイックにゲーム性を追及した結果がこれだと考えると、なかなかに興味深いものです。正直、開発がバンダイじゃなければもっと売れていたと思います。
 それに、カラーにもなかなか問題があって、当時の液晶の質のおかげで、激しい動きはブレ・残像が生じます。それがカラー液晶なら尚更チカチカするというわけで、現に90年の時点で既にカラー機だったセガゲームギアゲームボーイと大きく差別化を図っていましたが、もうどこの絶望先生だというぐらいにブレブレにブレまくっていました(しかも電池消費がハンパなく早かったです)。その点モノクロ液晶は幾らか安定して見れるので、純粋にゲームを楽しむにはこれもまた大事な要素だったわけです。
 しかし、ワンダースワンで何よりも悲しかったのは、「ハードが面白くても、ソフトが面白いとは限らない」というどうしようもない事実でした。ワンダースワンソフトの売り上げベスト5は「ファイナルファンタジー」「ファイナルファンタジー2」「チョコボの不思議なダンジョン」「スーパーロボット大戦COMPACT」「GUNPEY」なわけですが、「腰を落ち着けてプレイするRPG」が三つで、スパロボに至ってはもっとどっしり構えなければならないシミュレーションゲームです。まともにワンダースワンらしさを追求しているのは「縦持ち」パズルのGUNPEYだけで、他は携帯機である必然性すらありません。むしろ「昔のゲームの移植」「据置で出すにはボリューム不足」という理由は、携帯機にしてみれば侮辱と言っても良いでしょう。FFチョコボスパロボと、ネームバリューで売れたのが丸分かりという辺りもなかなか痛いものがあります。確かにワンダースワンは価格も軽かったですから、「今度FFが移植されるんだって。安いからハードごと買うか」と言えてしまえるのは強みだったのかもしれませんが……。


 何の話がしたかったんでしょうか。そう、ボカンの話ですね。「ボカン伝説」は私もやった事はありません。ただ、ワンダースワンで出す必然性は無いゲームでしょう。「バンダイワンダースワンを出しているから、バンダイの携帯ゲームはワンダースワンで出す」のが真理だったわけですから。このストイックすぎて売れなかったハードに、キャラゲーはあまりにも似合いませんし(バンダイキャラゲーばっかり作ってるのに……)。彼は動画の中でフォローを入れていますが、ストーリーを聞けば大体満足できる内容ではないかと思います。
 尤も、こんなゲームを詳細レビューしてる人なんてどこにもいませんけど。