本質の世界

 根津公子さんの名前を聞いて、すぐには誰だか思い出せませんでした。
 しかし、あの事件はなかなか印象的だったので、ちょっと今日はこの人についての話を。


 国旗国歌法という話が出たのはいつの事だったでしょうか。調べてみたら、もう8年前ですね。その当時思った事といえば、「今更な気もするけど、決められてなかったんだったら決めた方が良いんじゃないの?」という程度です。正直、どうでもよかったです。そして、日の丸にしろ君が代にしろ、子供の頃から「それが国旗で、国歌だ」と思いこんでいたので、決まった時も特別感慨は沸きませんでした。
 そして、根津公子さんがどういう人かと言いますと、ただの教師です。思想に若干の偏りが見られますが、信仰は個人の自由です。じゃあ何故この人がちょっとした話題になっているかですが、要は「国旗国歌法」に反対して、式典などでボイコットめいた事をしたおかげで処分された初めての人なのです。
 国旗や国歌に込められた意味を私は詳しく知りませんが、何分昔のものですから、今の社会と照らし合わせると食い違う面もあるでしょう。君が代における「君」とは天皇だから賛美の歌になってしまって日本には相応しくないとか、軍国主義に通じるものがあるとか、そういう話です。
 しかし、私はそんな事を問いたいのではありません。詞の意味なんて幾らでも考えられると、キバヤシは私達に教えてくれました。私が根津公子さんに言いたいのは、自分の主張の押しつけはいけないという事です。
 確かに、君が代や日の丸が気に入らない人はいるでしょう。それに従いたくないという意見も分かります。しかし、そうした反抗のおかげで、無関係の教師や生徒達が非常に不愉快な思いをしたであろうという事を忘れてはなりません。自分の主張を通すためには人の迷惑を顧みない、それが人にものを教える立場である教師のする事でしょうか。
 主張するなら、正式に書類を送るなり大勢でデモ活動をするなりすれば良いのです。それなのに、まず自分だけが我侭に行動して、いざ処分されてから正当性を主張されても困ります。しかも、自分は一切悪くないと言い切る上に、自分の意見が通じるまで校門等に居座っているとか。
 私ならば、その行為が迷惑だと追い出します。それで「私の主張を無視するのか」と言うならば、「私達の気持ちを無視するのか」と言い返すでしょう。……これは些か好戦的な態度ですから、実際それをしない現地の人達は私よりも大人だと思います。皮肉ではなく。「言っても聞かない人は無視するのが一番」だと知っているのでしょうね。
 根津公子さんの主張はまだ続いているようです。大元を辿れば、かれこれ二年以上前からあるようなのですが。……なんでも、もう年だから思いきって行動する決心ができたとか。それぐらいの年ならば、もう少しスマートな方法を取ろうとは思わなかったのでしょうか。長い人生経験で出た結果がボイコットでは……。


 こういう文章を書くといつも思うのが、「私はちゃんと自分を省みる事ができているだろうか」という事です。自分は悪くない、という時に限って本質が見えていない場合って、多いですからね。