つくづく、タイトルは適当

 思えば小学校の読書感想文の頃から、タイトルはどうしようかと考えていたものです。「〜を読んで」じゃいかんとか担任に言われ、「〜を読みまして」にしようか「私が読んだのは〜」にしようかと悩んで、結局臆病者の私は当たり障りの無いタイトルにしました。捻くれているのかいないのか、なんとも微妙なお話です。


 日記を書き始めて、三週間程になります。一応、毎日書いてます。といっても毎日ではなく、「起きてから寝る前までに必ず一回」ですが。今日も日付変わっていますし。
 毎日書く事は特別意識した事ではないのですが、いざこうやって公の場(といってもネットの端っこですが)に出すと、毎日「生きている証」を示し続けなければならないのではないかと思い、続いています。早く誰か突っ込んでくれないかなあとか思っていますが、今のところ誰も来ていません。カウンターだけは微妙に回転していますが。
 日記は毎日書くから日記なんだ、という話がありますが、これはどうなのでしょう。毎日書かなくても、その日にあった事を書けば「日記」として成立する気もします。あるいはその日でなくとも、「日常」を書けば日記になるようにも思います。
 そして、適当に思う事を書いている今の私は、日記を書いていると言えるでしょうか。ひょっとすると、日記ではなく「雑記」かもしれません。……この言葉の違いも、私には分かりませんが。
 結局、私は自分でよく分からない言葉を、日常で使いすぎている気がします。例えば、「〜という事」の「コト」を平仮名で書くか漢字で書くかも迷いますし、この日記にしたってそうです。「〜のようだ」という言葉に「様」を当てるべきかで半日悩んだ事もあります。今のところ、日記は毎日書いていますし、「事」は漢字で「よう」は平仮名で統一していますが、ひょっとしたら全てひっくり返すのかと思うと、恐ろしい事を平気でしているなあと感じてしまいます。
 こんな事で悩むぐらいなら、もう少し頭の良い人間になれそうだとも、つくづく思います。