季刊エス20号

 今まで「書籍」カテゴリーが無かったのは何故だろう?
 短時間の栄養補給に「チョコベビー」を使っている私は、まるでヤッターワンですね。


 季刊エス買ってきました。一応アニメっぽい日記サイトである以上アニメの話をしますが、今回は「電脳コイル」についてプロデューサーと総作画監督から8ページ、「バッカーノ!」について監督と美術と一話の作画監督から6ページ、「さよなら絶望先生」について原作者と監督から10ページのインタビューが掲載されています。
 エスはイラスト、表現系の雑誌でして、いわゆる「萌え絵」等とは違い、通常のイラストの他に「現代アートとしての漫画、アニメ」も扱っています。勿論そちらの方面へのインタビューもアニメ誌等とは違って、内容が絵の描き方や演出についての話がメインなので、そういうのに興味がある人はなかなか読み応えのある雑誌ではないかと思います。……何故こういう宣伝をするかというと、私の回りでは買っている人は一人もいないからです。本屋に行っても、ファミ通とかメガミマガジンは売り切れたりするのに、エスは三ヶ月置きっ放しがほとんどです(そして、私が買った店だけは売り切れます。一冊しか無いので)。
 絶望先生についてのインタビューは特に期待していたので(ちなみに、18号でも特集されています。時期的にはアニメ化発表の直前ぐらいだったかと)、10ページもあると嬉しいですね。中身は久米田康治先生が5ページ、残り5ページが新房昭之監督です。
 なお、バッカーノ!に関しては観ていないので(観れないので)書きません。興味のある方は自分で読んでくださいませ。


 電脳コイルについては、やはりその電脳世界の面白さについて触れています。興味深かったのは、電脳コイルは「リアルなSFの世界じゃないか」という事でしょうか。
 昔でSFと言えば鉄腕アトム然り、ガンダム然り、「ロボット」や「宇宙」「惑星」に「未来のイメージ」があったわけですが、これは恐らく、未来を具体的に「形のあるもの」として捉えているわけです。ところが実際には携帯電話であるとかインターネットであるとか、「形の無い」方向に進化しています。F-ZEROの如く「タイヤの無い車」もありません。基本的な「日常」はここ数十年変化していないのです。
 電脳コイルの世界は、そういう意味で考えれば「リアリティのある未来の世界」ではないかという事です。「現代における未来像」であるインターネットや携帯電話が進化すれば、電脳メガネのような形になるのではないか、というのは確かに頷ける話です。
 そして、スタッフが子供の頃に空想したであろうイメージを突っ込んでいるので(額からビームとか、手に耳を当てて会話するとか)、やけにノスタルジィを感じる未来になっているわけですね。「ありそうな未来」と「あったら良い未来」を混ぜた、リアルなファンタジー世界という事です。
 一方で作画方面には割に漫画的表現であるとか、ちょっとした嘘も入っているようです。「ある程度伸び縮みできるような体」をデザインしたそうです。そしてそういう漫画的な表現と作品世界のリアリティを融合させて見せていくのが一つのポイントとなっているようです。また、表情が豊かなのは子供向けでもあるからだとか。確かに深夜アニメ等は独特の演出などが光りますが、結局そういうのは玄人向けでしかない部分がありますから、「見られる」事を想定するのは重要です。
 作画関係での話は細かい部分まで語っていますが、特に一話やOP等では「全原画」で動かしているカットもあるとか。動画ならサラッと流す辺りも、いちいち口を動かしたりして表情を付けているんですから、ご苦労様というかなんというか……。しかし、アニメのキャラクターとはそれ即ち「表情、記号の塊」ですから、ちょっと歩くだけでも全身が動かなければ本当の表情とは言えないのかもしれません。


 一方絶望先生では、アニメ化と漫画賞受賞の祝福に対し、初っ端から「今日は一体何しに来たんですか?お見舞いですか?」とのたまう久米田先生。アニメ化等はやはり嬉しいけど、それのおかげで不安定にもなったという事です。なお、アニメ化及び漫画賞に関しては親に言ってないので、まだ気づいていないらしいです(漫画で散々アニメの話をしましたから、実際は知っているとは思いますが)。
 アニメ化に際し、久米田先生は特に要求はしていないとの事。「アニメ化してくれるだけでありがたい」そうです。まあ普通はそうかもしれませんね。原作通り作っている辺りも非常に恐縮していて、「アニメをやっているうちは漫画を休んでも良い」とすら。どこまで本気なのか、久米田先生は全く掴めません。
 他には、遺影をアニメスタッフに獲られたのは久米田先生が不在の時だったとか。「(OPに対して)あの流れで写真が出ると本当に死んじゃったみたいですよね。というか完全に死んでますよね」と言っちゃっています。なお、遺影の他にも、単行本オマケにあったセルフアニメも勝手に使われたものらしいです。本当でしょうか?
 そして、絶望先生には欠かせないのが前田君。アフレコには毎週行って差し入れを用意する、アニメ関連の専門用語を喋る(「ガヤ」に参加したらしいです)、漫画で背景の時計に自分の顔を描くなど、すっかり「調子に乗ってる」らしいです。アニメでも「前田邪魔」とか「自重しろ」とか言われたり言われなかったりしていますが、実際本人はどう思ってるんでしょうね。
 あと細かいところとして、漫画で糸色倫が登場する時にバックショットが多いのは、倫役の矢島晶子さんが野原しんのすけを演じているので、しんちゃんのように尻から登場させている……らしいです。微妙すぎる……。それとインタビューに並んで、単行本描き下ろしの表紙やイラストについて、簡単に作業工程が掲載されています。久米田先生、こういうところのセンスも独特ですよね。カッコ良いですよ。
 新房監督は当然アニメ側の視点な訳ですが、スタッフに原作ファンが多かったので特別な指示はあまり出さずとも作れているようです(ちなみに、かってに改蔵の方が好きなスタッフも多いとか……)。そのおかげで、むしろスタッフの個性が溢れる作風にもなっているとの事(原作に無いお色気シーンとか)。黒板ネタも原作者のネタが一番良いだろうとの事で、間に合わなかった部分は余白になっているとか。他にも原作の雰囲気を再現する為に、あまり仲が良さそうに見えないクラスメイト(クールな関係ですよね。確かに)は、単体カットを多くしているようです。
 原作と違う部分では、千里のエピソードが削られたのには特に意味は無いらしいです。しかし機会があれば作ってもみたいらしく、「同じ話をもう一回やるのも面白いんじゃないか」とか。確かにそういう場合、微妙な違いを見せるのが面白くなるでしょうね。二期とか特別編とかやってくれませんかね。
 小林ゆう画伯についても触れられています。5話に出た前田君の似顔絵に血の涙が描かれているのは「笑い皺」だそうです。4話のカエレのパンツは「ネギま!?」の刹那らしく、根っこがいっぱいあるのが羽根みたいです。すごい……。久米田先生も大絶賛していて、「絵描きとして嫉妬する」ぐらい。恐るべし、画伯。
 そして私が個人的に注目していたのは、OPについて。尾石さんがコンテ等を担当しているわけですが(前田君と久米田先生の写真を使うと言い出したのも尾石さんらしいです。そして無断で……)、あくまでカッコ良く作ろうという指示がされています。そして衝撃のラストシーンは「可符香の子宮で夢を見続ける望」なんだとか。……そう考えると、あのOPというか「さよなら絶望先生」の世界そのものが「夢」という解釈もできますよね。どこからが現実でどこまで夢なのか、実に興味深い話でした。


 なお、エスの巻末には久米田先生のサインやポスター等のグッズのプレゼントもありますので、そちらに興味がある方もどうぞ。