テーマ無し

 さよなら絶望先生が終わりました。なんじゃこりゃな最終話でしたが、まあそれらしくて良かったと思います。11話を最後にした方がよりそれらしかったですが、これはさすがに危ないネタだったんでしょうね。入れ替わったというのも納得です。
 そして最後のエンドカードを飾ったのは久米田康治先生。畑健二郎先生はとうとう描きませんでした。ラストまで作者が描かず弟子(のような人)に描かせる方がネタになりそうで個人的には期待していたのですが、まあさすがに最後は原作者という事でしょうね。
 ただ、描いているのは久米田先生でも、描かれたキャラは「かってに改蔵」の方でした。スタッフ的には恐らく、オッケーでしょう。いろいろぶち壊しにしてこそ絶望先生ですし、改蔵のファンもいっぱいいるようですから。そして「次回からはD.C.2が始まります」と、全く関係の無い他番組を堂々と宣伝する気遣いはさすがという他ありません。


 D.C.2と言えば、私の友人の友人が萌え狂っているシリーズでして、又聞きなのにその熱意が伝わってくる程の入れ込みようです。ちなみに私の友人自体はそれほど好んでいるわけではなく、いつもTPOをわきまえず話題を出す態度に辟易しているとか。
 なお、私は「男もすなるギャルゲーといふものを私もしてみむとてするなり」という態度で多少は手を付けたものの、ただテキストが流れて選択肢を少し選ぶだけのゲームはすぐに飽きてしまいました。ストーリーには感情移入できるものの、ギャルゲー的主人公は体質的に合わない事もあり、クリアしたギャルゲー(エロゲー)は片手で数える程しかありません。傾向としては、主人公のキャラクターが「濃い」、「主人公ではない一人のキャラクター」として成立しているゲームが多かったと思います。
 そんなわけで、D.C.も初代を少しプレイした程度で、2も体験版でお腹一杯でした。物語はアニメで知っていますが、そのアニメがD.C.S.S.で大コケした事もあり、あんまり良い印象を持っていません。
 そもそも、D.C.の物語はあんまり好きではありません。可愛い女の子がいっぱいいて、それぞれに何かの悩みや設定があり、「枯れない桜」に全てが収束しているというストーリー構成はオーソドックスで小気味の良いものですが、空間的にファンタジーすぎて私好みではないのです。「枯れない桜」が日本人的に「ありがたみが無い」と感じているのもあります。
 また、「曲芸商法」と呼ばれる無数のパッケージに、原作者や原画家の入れ替わりが激しいという裏事情のキナ臭さがどうにも。そこまでしてシリーズを繋がなければならないのかと思うと、消費者側として冷めてしまいました。
 あと、非常にどうでもいい事ですが、D.C.2は遥か未来の話なのに、制服などのデザインが変わっていないのはちょっとだけ気に入りません。たとえ田舎でも、50年経てば文化も様変わりするでしょうに。
 ちなみに「枯れない桜」はそのものの形ではありませんが、各地に実在します。我らが三重県鈴鹿市にも存在し、白子の子安観音にある「不断桜」は国の天然記念物にも指定されています。近鉄鼓ヶ浦駅のほど近くにある子安観音寺は安産祈願等で参詣者が多く訪れますが、「枯れない桜」があるという事でも知られています。私も去年の11月頃、暇を見つけて行ってきましたが、やっぱり咲いていました。
 この「不断桜」、さすがに初音島のように年中満開というわけにはいきません。ただ一本の桜の木の中で、交代に咲き続けるという感じでしょうか。その結果、一年中どこかの枝で花を咲かせているので「枯れない」と言われているのです(冬の寒い時期には一時的に止みます)。花見をするには物足りないかもしれませんが(そんな広い敷地でもありませんし)、桜のありがたみは感じられると思います。




 ここからは関係の無い話。
 先日四日市のイベントに行った時、満足はしたものの「自分はこの世界には入れない」と感じました。しかし、今思えばそうでもなかったかなあと。具体的には、自分の「創作物」をネットに流すか、それとも(個人間ですが)流通に載せるかという事には大きな違いがあるのではないかと思います。
 結局、ネットというのはひどくあやふやな世界です。もし私がネット上で世界一の有名人になったとしても、それが現実世界に影響を及ぼすとはとても思えません。インタビューを受けたり雑誌連載を持ったりはするかもしれませんが、どこか「浮き足立ったもの」になると思います。
 しかし、同人誌として発行すれば、規模は小さくともそこに確実性が感じられるのではないかと思います。少なくとも、四日市で同人誌を売っていた人達は、それぞれ輝いていました。やはり人間、自分の生きた証や自分の姿を投影したものを形にして残すという行為には意味があるという事なのでしょうね。
 今は細々と駄文を書いているだけですが、ある程度まで溜まったら一冊の本にまとめてみるのも良いかもしれないと思えました。それを売るかどうか(売れるかどうか)はさておいて。