リアル鬼ごっこ

 観に行きましたよ。あのつまるとかつまらないとかいう次元を超越した「物語的な何か」をどこまでまともなものにできるか、脚本家の腕を期待して。あ、ちなみにかなり人が入っていました。七割ぐらいでしょうか。


 この仕事、やりたくなかったんじゃないか……?脚本の人に対してそんな感想を抱いてしまうような映画でした。私の思い過ごしだと良いんですが……、以下、つらつらと感想を書いていきますね。
 ……と、その前に。捕まった人間が上下真っ二つにされるなど、スプラッタとまではいきませんがグロ描写もあります。その系統に耐性の無い人は覚悟した方が良いです。ていうか私、結構耐性が無い方ですので、めちゃくちゃビビりました。
 「リアル鬼ごっこ」の原作そのものについては、今更語りません。一応読んでいますので、どういう話かは知っています。突飛な設定と物語は面白いかも知れませんが、それ以外については語ることすら面倒くさくなるような文章でした。
 そして、その話を「ちゃんとした映画」にしようとするとどうなるかと言いますと、「リアルになればなるほど、『リアル鬼ごっこ』である必然性が失われる」のです。
 リアル鬼ごっこを「リアル鬼ごっこ」足らしめている要素を幾つか挙げますと、「王制が布かれた現代日本(原作では日本ではありませんが、どう読んでも日本なので……)」「全国の『佐藤』を捕まえて殺す、狂った王様」「主人公はそんなやり方に反対して王様をどうにかする」「鬼ごっこの期間は一週間。一日のうちの一定の時間だけ狙われて、その間は徒歩で逃げなければならない」「大事な妹がいる」「疎遠だった『佐藤』の友達がいる」「父親がいる」等でしょうか。途中からどうでもいい要素が多くなっていますが、それ以外に語るところが無いのが「リアル鬼ごっこ」です。
 はっきり言って、これだけだと非常に内容が薄いのです。それは、時間を短くすれば良いという問題ではなく、「物語」として構成できないぐらいです。この話のポイントは「鬼ごっこ」なので、逃げるシーンがあれば尺が稼げるとは思いますが、走る話が観たかったら太陽にほえろ!の映画でも作った方が良いでしょう。もしくは執拗なジェラード警部の「逃亡者」。
 まず、突飛な設定をどうにかするためかどうかは知りませんが、「王制日本」をパラレルワールドとして、主人公の佐藤翼を「元の日本からやってきたイレギュラー」としました。ある時突然飛ばされたと思ったら鬼ごっこ五日目の真っ最中で、わけも分からず逃げる……という流れで、原作の持ち味であろう緊迫感を出しています。説明台詞も「違う世界からやってきた」とすれば自然に使えますしね。
 ただ、パラレルワールドというのは作劇におけるジョーカーのようなものです。これを使えば、どんな突飛な設定でも説明できてしまいます。要するに、「リアル鬼ごっこの世界」でなくても物語が成り立ちます。しかも、ただ飛ばされるだけならまだ良いのですが、ラストでは二つの世界での連動が重要な複線になっていますので、ますます「リアル鬼ごっこ」の世界がどうでもよくなっていきます。仮に「リアルかくれんぼ」でも、映画のラストまでの感動は維持できてしまうような構成になっていました。更に、最後の最後にはこの設定を使った壮絶なオチが待っているのですが、これは後述。
 そして、「狂った王様」をどのようにアレンジしているかと言えば、これはなかなか複雑になっていました。まず、日本は元々普通の国だったのですが、ある時「超能力で人を殺せる」男が現れて日本を支配し王制になる……というのがパラレルワールドにおける「王制日本」の成り立ちです。そして「超能力」の正体とは、パラレルワールドに飛んで違う世界の人間を殺す事によって、元の世界では突然人が死んだようになってしまう、という世界の連動を利用したものでした。
 といっても王様はパラレルワールドに飛べる力を持っているわけではありません。正確には、王様の妻の手によるものでした。そしてその二人の息子こそ主人公「佐藤翼」なのです。翼は王制日本の世界で生まれたので、体にIDチップを埋め込まれており、突然王制日本の世界に飛ばされてもGPSで探知される……というカラクリ。なお、パラレルワールドにおける「同じ人の生死」は連動しているのですが、「元の日本における翼の母親(益美さん)」が「王制日本における王様」と結婚したものですから、「佐藤翼」だけは同じ人間がいません。
 そして、益美さんは自分が王様に利用されているのを知ると、翼を連れて元の日本に帰り、別の人と再婚して「翼の妹(愛)」を産みます。愛は元の世界同士の両親から生まれたので、王制日本にも同じ人間がいます。一方逃げられた王様はどうにかして益美さんの力を取り戻したかったのですが、それが適わないと知ると「王制日本の益美さん」を殺しました。これにより、「元の日本の益美さん」も死亡。
 更に王様は、母親の力を受け継いでいるかもしれない翼や愛を捕まえようとするのですが(事実、愛が力を受け継いでおり、翼を王制日本に呼びました)、二人の父親が管理局にクラッキングをかけてIDチップのデータを壊してしまいました。これにより王様が認識できたのは、「佐藤」という苗字だけ。「じゃあ佐藤を全員捕まえればあいつらも見つかる」というわけで、ようやく「リアル鬼ごっこ」が始まるわけです(IDチップで管理されている以上、改名は無駄だと思います)。王様は原作でも狂人でしたが、より説得力のある狂人になっています。
 ……これだけ複雑な設定が、後半になってドバーとやってくるので、もう「リアル鬼ごっこ」なんかどうでもよくなってきます。むしろ、その部分を省いて、単に「二つの世界の物語」としても十分に面白いでしょう。パラレルワールドによくある「同じ顔なのに違う性格」「一つの世界で殺せば(生かせば)違う世界でも死ぬ(生きる)」「誰かが頑張るところでは、別の世界の同じ人も頑張ってる」なども一通りこなしていますから尚更です。映画の最初のシーンが元の日本での「全国の佐藤が謎の変死」なので、掴みからバッチリですし。
 そして衝撃のラスト。王様の分身である病院の医師(こいつも悪人です)と共に屋上から落ちた翼。その頃王制日本では愛が王様に追い詰められて絶体絶命、という状況だったので、捨て身の策でした。
 そして王様は死亡。しかし翼は何故か生きていて、偶然助かったのかと思えば違いました。いきなり銃を突きつけられ、どこかの基地に連れて行かれる翼。なんとそこは支配者階級と奴隷階級に分かれた日本であり、愛達はレジスタンスとして戦っているとの事でした。
 「あっちの世界の私から聞いてる。私達のために戦って」そして、再び走り出す翼。KOTOKOの主題歌が流れ、スタッフロール…………。唖然としました。ポップコーンが残っていたら思いっきりスクリーンに投げていたところです。
 あのむちゃくちゃな世界をどうにかして納得させたいがために、もっと荒唐無稽な世界を用意して誤魔化したかったのか。それとも、「こんな話やりたくねーよ」という魂の叫びだったのか。どっちでもないかもしれませんが、少なくとも「リアル鬼ごっこ」ではありません。
 第一、翼と友達との間にあった「ダブル佐藤」とかいう恥ずかしい異名や、「全国の佐藤だけを捕まえる」という微妙に迫力が無くて頭の悪い発想等、、突っ込みたいポイントは大体作中で突っ込まれています。そうでもしないと自分の作家としてのモチベーションを維持できないんじゃないかとすら思いました。
 肝心の「リアル鬼ごっこ」も、翼が送り込まれた時には既に五日目でしたので、実質三日しかありません。五日目に世界の説明をして、六日目に父親が爆死し(見知った人との別れ)、七日目で翼を残して皆捕まる……という、最低限のドラマを自然に展開させるのに丁度良かったから、後の四日はいらなかったのでしょう。「鬼」そのものは不気味なデザインで結構カッコいいんですけどね(ちなみに、鬼も全員人間です。謎のマシンとかは出てきません)。


 普通、つまらない原作が面白い映画になるとなんか損した気分になるのですが、今回に限っては損とも違う、なんともいけない気分になりました。いえね、なかなかに面白かったんですよね……。これが「リアル鬼ごっこ」だと思うと、なんだろう、このもやもや……。