一つ、大人になりました。

 正確には25日なんですけどね、一応誕生日です。うわーい。


 そこで、ニコニコ動画でなんか誕生日に相応しいネタでもないかとめぐっていたら、どうやら某アイマス如月千早さんも25日が誕生日の模様。うーん、誕生日が同じ人がいて嬉しいような、思いっきりのけ者にされてるような……。


 でも私、結構歳を取っちゃったなあと思います。考えてみれば、大学生になって初めての誕生日、つまり19歳の誕生日ですか……、あの時は一人で祝いました。一人暮らしで、大学も終わっていた時期だからしょうがないといえばしょうがないんですけど、親からも電話は来ませんでした。翌日になって母から電話がかかってきたのですが、「おばあちゃんから『あの子誕生日だけど、一人で寂しい想いしとらんかな』とか言われて、あんたの誕生日思い出したわ」とかなんとか。
 考えてみれば、あの時私は大人になったのです。もう、誕生を祝われることは無くなったのです。ただひたすらに今を生きて、次の時代を作っていく、それが大人になるということなんだろうと、おぼろげながらに感じたのです。
 それから私は、ずっと一人で生きてきました。誕生日には自分の好きな物を適当に買って、ほんの少しの満足感を得る、それだけで毎年生きていけるのです。物足りなくても、それが生きるということ。ただ「生きていられることの素晴らしさ」を再確認できる、嗚呼、誕生日とはなんと素晴らしい日なのでしょう。
 19歳になったあの日から数日後、私は親元にちょっとだけ帰り、祖母へ挨拶に行きました。母には挨拶しませんでした。父は元々人の誕生日を覚えない人だったので、いつも通り挨拶しました。そういうエピソードからも分かるように、あの時の私はちょっと歪んでいたのですが、父は誕生日の他に大事なことをいっぱい覚えてくれていましたし、母はそういう父を補う立場にいたせいか、肝心なことを覚えない人だったんですから、しょうがないと思えなくもありません……。
 それから誕生日には、人に祝われたり祝われなかったりといろんなパターンがありましたが、ただ一つだけ同じことがありました。誕生日が、特別な日ではなくなったのです。そういえば今日は誕生日だったなあと思う程度で、お母さんがケーキを買ってきてくれるのを楽しみに待っていたり、お父さんが「おめでとう」と言ってくれるのをちょっと恥ずかしく思ったりといった、そんな「わくわくする日」ではなくなったのです。ちょっと高級なレストランに入ってみたり、前々から欲しいと思ってたCDを奮発してみたり、全部自分でするんですから、わくわくしなくなってしまったのです。
 大人に、なったなあ……。


 祖母は今年も元気です。いつまで元気かは分かりませんが、今度帰ったらちゃんと挨拶に行こうと思います。今度は、母にも。


 明日は、何を買いましょうかねえ……。