少林少女

 某シネコンにはワンダーフリーチケットというものがありまして、映画を6回観るとポイントが溜まって、タダ券が使えるんですな。今回それを使いました。
 で、「タダで良かった」と取るべきか、「貴重なタダを使ってしまった」と取るべきか、迷います。
 そもそも、この感想を書くかどうかも迷います。
 でも、書かないとモヤモヤが消えないんだろうなあと思うと、気が重いですね。


 少林少女、観てきました。観たのは先週なんですが、それからずっと考えていました。「どうやって評価しようか」と。
 なんていうか、つまらない映画なら良いんですよ。「つまらなかった」「ここはこうすれば良かった」と書けますから。これは、そういう評価すらできません。お話としてあまりにもお粗末で、悪いところばかりでどこを指摘すれば良いのか分かりません。
 一応のストーリー。柴咲コウ演じる中国で少林拳を学んで帰国した日本人の少女が主人公。どうやら彼女には凄まじい気の力があるらしく、それをコントロールするために少林拳を学ばせた様子。そして、日本で少林拳を広めるために頑張る柴咲コウ。とある大学のラクロス部に誘われ、「自慢の少林拳で大活躍!→スポーツを通して少林拳も広められる!」と思いきや、チームワークがなっていなかったため足を引っ張る事に。しかし、子供達がサッカーで遊んでいるのを見て他人と合わせる事に気づき、一時は見捨てられたも同然だった関係は徐々に回復、信頼を得ていく。
 ところでその大学、実は裏でスポーツを通して世界制覇みたいのを狙っていた(優秀な生徒を各地に送り込んでどうのこうの)。学長は実は少林拳の使い手で、柴咲コウの隠された実力にも気づき、家を焼いて友達を誘拐、「俺に本気を見せてみろ!」のバトルマニアだった。ブチ切れた柴崎コウは大学に殴りこみ、次々と刺客を倒していく。最終的に「黒の気」を纏った学長に大して「白の気」で抱くことで改心させる。そしてラクロス部少林拳のおかげで世界に進出して大活躍するのであった(この辺がエピローグ)。
 さて、前半と後半で全然ストーリーが違うじゃないかと思うかもしれませんが、私もそう思います。ラクロス部での友情とかチームワークとか、無くても話は成立します。ラストの学長が柴咲コウに抱かれる辺りは、どうやって説明すればいいのか未だに分かりません。恐らく「母性」とか「胎内回帰」とかそういったものなのでしょうが、柴咲コウがそういうキャラクターだったという複線は一切無く、そうでなくとも学長の過去がほとんど語られていないので、突然抱かれて涙を流し、少年の姿に変わって〜みたいなシーンを見せられると、「これ、なんの映画だったっけ?」とか。柴咲コウのバラバラの「なんとなくテーマを匂わせる」言葉の羅列がまたお粗末で(そもそもテーマってなんだっけ?というツッコミも尤もなんですが……)、演技以前に台詞の選択がおかしい。なんだか柴咲コウが急に「可哀想なキャラクター」になっているみたいで……。
 でも、前半と後半と終盤で全部話が違うだけなら「ドッチラケだなあ」で済むんですが(それでも十分「金返せ」のレベルですが……)、前半のスポ根ものの路線だけでもズッコケるお話です。まず「チームワークがなってない」とストーリーには書きましたが、画面を見ると柴咲コウはチームワーク以前に「少林拳の力をコントロールできてなくて、ノーコン連発で失点してる」だけなんですな。パスとかシュートとかじゃなくて、要するに素人。素人が足を引っ張るのは当然でして、チームワーク関係ねー。……ていうか、「己の力をコントロールするために少林拳を学んだ」んじゃなかったっけ?
 そして、ラクロス部の皆に愛想をつかされた柴咲コウ、何気無くやっていた少年サッカーに混ざる事でチームワークのなんたるかを知るのですが、ラクロスで失敗したものをサッカーで知ることができるのか……?そもそも、「ラクロス」は前半の中心になっている筈なのに、具体的な試合描写とか用語とかが全然出てこないので、ラクロスである必然性がありません(それこそ、最初からサッカーで良かった筈)。これはエピローグでのラクロス大活躍シーンも同様で、恐らく脚本家を始めとして、誰一人まともにラクロスを知らなかったんだろうなあと……。チームワークを語ろうとするなら、パワーはあってもルール違反してしまうとかそういう描写を入れるだけで良いですし、ラクロスの必然性も現れてくるのに……。これで脇役扱いならまだどうにかなるのですが、ラクロス部は全員が特別枠で紹介されているのが、またすごい温度差を放っています。全員区別付かなかったよ……。
 前半のラクロスが解決した辺りで後半のアクションがやってくるわけですが、この大学が強さを求めているのは良いとして、その割には「成績の悪い部はいらん!」みたいな描写が全く無く、「柴咲コウが入ったラクロス部のある大学は、偶然にも少林拳の使い手が学長を務める悪の総本山でした」という唐突な運び。必然性、全く無し。あとこの学長、冒頭で「今の時代、力か美を売るんだ。でもこれからは力は古い、美を売れ」みたいな事を言ってるんですけど……、バトルマニアの後半はなんなんだ?
 大学に殴りこむ柴咲コウ……、なんで殴りこむべきが大学だと分かったんだ?とか、そんなツッコミすらどうでもよくなっています。それからはずっとアクションシーンが続くのですが、元ネタである「少林サッカー」みたいな超人バトルではなく、割と真面目に「少林拳」をしています。吹っ飛び方がすごかったり壁が豪快に壊れたりはしますが、基本的にガチバトル。「それはすごいな」と感心したいところなんですが……、私は正直「少林サッカー」の方を期待していましたし、現に前半のラクロス部での活躍はソッチ系でしたし、今更真面目になられても……。しかも柴咲コウ本人がやっているので、やはりプロの殺陣師や格闘家に比べるとアラが目立ちます(女優としては十分に評価できると思いますが、それじゃイカンでしょう)。本拠地の塔では階層ごとに刺客がいるのですが、全部ガチでぶつかりあっているので、画面的にもあんまり面白くない……。少林拳つったら、やっぱりスカドンばりの奇人変人じゃないと駄目だろ!と、ちょっと偏見をぶつけさせてくださいよ。
 そしてラストの学長との一騎打ち。これはもう、私には前述以上の説明はできません。なんかすごい戦いをして、空に飛び上がって「この拳にオラの全てをかける!(注:学長)」「そんな少林拳、駄目だよ」学長を体で受け止める柴咲コウ→「少林拳、やろ!」「ああ、昔の僕はあんなに素直だったんだ。あんなに楽しかったんだ」……………………。死ぬほど適当に説明したこれは、案外的を得ているやも……。
 そういうわけで、放火とか暴行とかした学長だったけど改心したので罪には問われず、少林ラクロス部をにこやかに応援するのでした。優勝インタビュー。「秘訣はなんですか?」「チームワークです」ウソっぱちじゃーん。


 正直、少林サッカーはコメディで良いと思うんです。あんなアホみたいな少林拳は、笑わない方がおかしい。でもラスト付近になるとそれがマジになってきていて、エピローグでの「少林拳が普及した姿」とかは普通に感動ものになると思います。その「コメディがシリアスに変わる瞬間」が少林サッカーの面白さの一つだと思います。
 ですが、この「少林少女」は駄目です。あのトンデモ少林拳をシリアスなストーリーに利用して、しかもガチバトルのシーンではそれを封印して比較的普通の拳法にするのは、両方の魅力を同時に踏みにじっていると思います。コメディとしてもシリアスとしても大失敗で、「これをひっくるめて少林拳だよ」と言われても全然実感が湧きません。しかも、コメディを狙ったシーンも幾つかあるんですが、これがまた寒い……。日本人が作った映画ですが、日本人をなめるなと言いたい。
 そんな駄目クソの映画ですが、二つだけ面白い点があります。それは、これが「少林少女」というタイトルだという事。「少林ラクロス」とか「少林拳の逆襲」とかいうタイトルだったら許しませんでした。主体は「少女=柴咲コウ」であり、脚本がメタクソでも演出がヘボでもアクションが甘くてもラクロスが分からなくてもこんな映画に付き合わされた役者と視聴者が可哀想でもいいんです。「少林拳を使う少女の物語」としてだけは成立していますから。そして、それが面白いかどうかは別。「意味」だけは合っていますから。本当、タイトルだけは完璧です。
 そしてもう一つ。柴咲コウの祖父が写真で登場しているのですが、その人はなんと我らが御大将、富野由悠季だったのです。長年の経験が刻まれた怖い顔はなかなかの映えを持っており、少林拳の達人だとしても納得です。前にもこんなカメオ出演はありましたし、ひょっとして実写映画の作劇とかに興味があるのかしらん。……いや、やっぱり駄目だ。なんでこんな映画に出てしまったんですか、御大将。


 ちなみに私、デビルマンを観た事がありません。やっぱり、一度ちゃんと観るべきなのかなあ。