ボカンで育って大人になって

 ……そういうわけで、書かせていただきます。が、個人的に書いていたネタをほとんどそのまま移すだけですので、あまり親切な文章ではありませんし、誤字もあるかもしれません。その辺りはご了承ください。どうせ、底辺Pの一周年なんて、よほどの物好き以外は見ないでしょうし〜。
 なお、大体動画一本作るのに合わせて一つネタを書いたぐらいですので、テーマとなった動画も置いておきますね。


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 2008年1月。それは私にとって少しだけ特別な月だった。ヤッターマンの主題歌騒動と、それに伴う私の犯した行動である。
 あの頃の私を今見ると、いろいろなものが足りないなあと思う。技術は勿論、信念も情念も知性も、何よりも速さが……といった感じで、とにかく足りない。未熟だった(尤も、今が満ち足りているとも思わないが……)。
 だが逆に強く感じたのは、恐ろしいまでの飢餓感。何かをしたい。何かを作りたい。何かを表したい。何かを知らせたい。そうやって闘いを貪り、安心を捕まえ、快楽を追いかけ、源を求め、広がりを望み続けていた。あの頃は若かった……。
 では、その根底にあるものはなんだろう?……決まっている。「赤い仮面」だ。私が子供から大人になる時、いつも隣にいたヒーローがテレビの中に帰っていく時、最高の思い出としてもらった、ヒーローの証。あれを忘れたくなかったから、あれをもう一度燃やしたかったから、私は今も、くだらない持論をぶちまけているんだろう。
 平成の世になって、あの頃と同じヒーローはもう現れない。しかし、あそこで騒動を起こしていた人達は、皆赤い仮面を持っていた。同じアニメを見ていた仲間達だった。ヤッターマンの騒動でそれが分かった。
 皆、楽しかったのだ。たかだかアニメの主題歌であんなに真剣に議論できたのだ。生まれたところも時代も違うのに、何故か同じ夢を見てる、ボカンで育って大人になった人達だったのだ。


 「ヤッターマンのある風景」は、ヤッターマン主題歌騒動を765プロというミクロ社会で表現したと同時に、それに関わった人達の「楽しさ」を描いたつもりだ。くだらない騒動だったからこそ、「音楽に正解は無い」という風に結論を放棄して、それぞれに考えてもらうようにした。面白さは無いかもしれないが、多くの人に見て、考えてもらいたい。ただ、最後に謝った姿は、当時の私の姿に通じていて、ちょっとだけ恥ずかしいのだが。
 ああ、あんな仕事場で働きたい。それは趣味が合うというだけじゃない、くだらない話で真剣に、しかもダメな方向に議論したい。そして「仕事しろ」と誰かに注意されたい。そのぐらい、話がしたい。
 こんなくだらないアニメに、歌に、ずっと夢中になれる。それは素晴らしい事だ。大人になったらアニメ卒業なんて、寂しい。