君はゴーディアンを知るか

 今日は教養講座をだいぶ書き進めたので、教養講座の話をしましょうか。
 ちなみに、現在「イタダキマン問題編」がほとんど完成で、「ボカン紹介編」が四分の一ぐらい書き上がってます。


 これ、読みにくくてすみません。
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 架空戦記アイマスじゃない、という意見がたまにある。私はそうは思わない。アイマスのアイドルが出ている以上アイマスだろう。「好きだから」アイマスでMADを作ったり架空戦記にしたりするのだ。そこに愛とか敬意とか、そういう感情が全く感じられないのならまた別だが、「素材を使う」からにはそれなりの意味があるのだ。
 しかし、教養講座はアイマスじゃないとも思う。普通に喋れば良いのに、何故アイマスを使うのか。そうしないと見てくれないから?客寄せパンダとは、ある意味アイドルの使い方として正しいが……。
 架空戦記との違いは、恐らく「教養」という言葉の持つ属性があるんじゃないかと思う。お勉強なんて堅苦しくてやってられないのだ。視聴者の九割は女子小学生で、視聴する際には全裸にネクタイを正装とするような集団が、どうして大真面目に勉強しなきゃならないんだ。むしろ「アイマスで学ぶ社会復帰、更生の方法」の制作が求められる。
 そんな感じで屈折した私の感情が作ったのが、「ゴーディアンを音楽面から語る」である。アイマスは音楽が一つのメインなんだから、音楽を語るのは「アイマス教養講座」を名乗るに相応しいんじゃないかなあという、言い訳みたいな事を考えていた。実際には、アイマスMADを作りながらもアイマスの必然性が失われそうなその頃の自分を試していた面がある。
 例えば、「アイマスで語るアイドル史」とか、もっとアイマスと関連した話題が増えても良いと思う。歴史とか経済とか文系理系とか、いかにもなお勉強をするよりも直感的で分かりやすいし、そこからジャンルを広げていくとより興味が湧くと思う。つまりそれはプロデュースというヤツだ。
 そして気が付いた。だったら最初に「ゴーディアン」を作るな。ボカンとか燃えドラから入るべきだった。何故作ったし。聞くまでもない。趣味と勢いだ。……ああ、それはアイマス的じゃないかもしれないが、ニコマス的ではある。実に正しいな。じゃあ堅苦しいのも別に良いや。
 でも、もうちょっと近代娯楽文化を語る教養講座が増えて欲しいなあと思う今日この頃である。「千早が語る人間讃歌」とか「亜美真美が語る世紀末救世主伝説」とかさ。架空戦記は恐らく、世界観の違いが受け入れにくい要因になってると思うのだ。教養講座もそれは同じで、どこかにさりげないとっかかりがあれば、アイマス世界と融合できると思う。


 まあ、一番独自の道を走ってるのは他ならぬ自分にも思えるのだが。私にとってのとっかかりは、「山本m@s之」というタグぐらいしかないのだから。このタグが荒らしに消された時、私はショックで引退してしまうかもしれない。