走っても、ときめいても

 教養講座のアレで、改めて怪盗きらめきマンを観直しているのですが、やっぱり面白いんですよねこのアニメ。でもそれは「今観る」から面白いのであって、2000年という時代では決して面白いアニメではなかったわけです。ボカン当時のノリがそのまま出てきた感じで、明らかに作品として古いのです。私はボカンを知ってるから楽しめるわけですが、知らない人にはたぶん本当の面白さが伝わらないんだろうなあと思うと、本当にこのアニメは残念でした。当初の予定通りなのですが、一年分観たかったですよ。
 ところで、きらめきマンで一番凄いと思うのは、ヒロトがアニソンを歌っているというところではないでしょうか。しかも、この「フララーン・ランデブー」自体は山本さんのいつものノリの曲のように聴こえるのですが、ヒロトの声のイメージにピッタリの歌詞なんですよね。二人の付き合いの長さが分かるようで、聴いてて嬉しくなってしまいます。


 どんどん古くなってきました。しかも今日は動画がすごく短い。でもこの動画はちょっとした想い入れがあるので、長々と語らせていただきます。
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 MADの問題点は抜きにして、ここでは肯定的な意見を前提に語ろう。
 最初の私は「山本正之をいろんな人に知ってもらおう」という意識の下に制作していた。しかし様々な事件を通して、私の感情は変わっていくことになる。
 ある時、春香に列車の曲を歌わせた。春香と言えば遠距離通勤、旅と列車が似合う。そして次に同じコンセプトで動画を作ろうとしたとき、旅の持つ「孤独さ」や「果てない未来」といった像が私に飛び込んできて、私の中にいた春香が勝手に動き出した。そして動画が完成すると、春香は言った。「今の私なら、あの曲もできるんじゃないか」と。
 曲に合わせて11人のアイドルが踊る事で、曲に新たな意味を与えてくれる。動画が出来ると、私の中のアイドル達はその曲のイメージを内包した存在になる。より高みに至ったアイドル達は、私に次の曲を示してくれた。そこには、今まで私が理解できなかった、山本正之の哲学があった。
 「そうか、そういう意味だったのか」自分の作った動画を通して、自分のプロデュースしたアイドルを通して、更に深い理解を得る事ができた。私の中でのアイドルは、最早自分がプロデュースする存在ではない。私に新たな世界を見せてくれる女神だ。私は、最初にきっかけを与えただけなのだ。「いろんな人に知ってもらおう」という思いは、ここに来てようやく自分自身に届いたのだ。
 今の私の頭の中では、11人の女神が二十数曲の振り付けで踊っている。皆、テンポもテーマもバラバラだ。しかし、そこには不思議と統一感がある。だから彼女達が何をしていても、私は構わない。全て、女神の自由の下に。