「男子、ちゃんとやんなさいよ!」

 合唱コンクールの話です。まあ、大体どっかのクラスにはこういう女子がいたものです。私はその時何をしていたかと言うと、特に主張はせず黙々と自分の仕事をこなしてるタイプでした。どっかのグループに入ってるとかそんなのでもなくね。
 突然何が言いたいかと言いますと、はじめてのCのこのエントリを読んで、記憶の彼方にあった「仕切りたがりの女子」を思い出したのですよ。まあ、彼女が具体的にいたかどうかすら記憶の彼方なので、あやふやな話なんですが。
 まず女子の話は置いといて、言われた男子の方を考えてみますが、基本的に一匹狼(笑)だった私にしてみれば、「ちゃんとやってない男子」ってあんまりいなかったんですよね。クラス全体で三十数人いるとして、男子はその半分だから二十人もいません。で、その中でちゃんとやってない男子は五、六人ぐらいです。「三分の一近くもいる」と見るか、「ちゃんとやってる男子十人強に失礼だ」と見るかは自由ですが、とりあえず私は後者を取りました。うん、あんな失礼な物言いをする人とはお友達になりたくないなあとかなんとか、思いっきり他人事を考えながら。
 で、合唱コンクールの話なんですが、ぶっちゃけた話、こんなの頑張っても意味はありません。内申に影響するとかいう人は、成績に飢えている人か、何事も完璧じゃないと気が済まない人のどちらかでしょう。そういう人にはまず学業を頑張りなさいと説きたいですね。じゃあ何で合唱コンクールをやるのかと言えば、「思い出作り」とか「団結する事の素晴らしさ」あるいは純粋に「授業音楽の延長」でしょう。特に中学校までは義務教育ですから、一番最後の「授業の延長」はやる義務があります。でもまあ、他の事は、他の行事でも代用できます。共に頑張るんだったら体育祭のクラス対抗でも文化祭の合同企画でも何でも良いでしょう。
 ならば改めて合唱コンクールとは何か。恐らく「本業(学業)に対する息抜き」ではないかと思います。授業の後に合唱の練習するのは確かに辛い話ですが、気分転換には丁度良いのではないでしょうか。私だって「まあ年に一回ぐらいはあっても良いか」とか思いながら歌ってましたから。
 回りくどい話なんですが、ニコマスだってそういうものでしょう。誰だって本業が大事です。よく冗談めいて「リアル仕事は副業、アイドルプロデュースこそ本業」と謳われるニコマス界ですが、やっぱりそこは「冗談」でしかありません。「リアルがやばいので引退します」とか「飽きたからもう辞める」ってのは、趣味とか息抜きにこそ使うべき言葉です。


 で、合唱コンクールニコマスと同じようなものとして考えた理由は最初に繋がるわけで、このエントリのhajicさんは、なんか「頑張っちゃってる女子」みたいに思えたんですね。
 この「男子ちゃんとやんなさいよ!」ってのは意外と曲者で、パッと見は正しい意見ではありますが、実は一面的な言葉でしかないものです。まず先に挙げた、合唱コンクールはあんまり本気でやってもしょうがないというのがあると思うんです。
 勿論ハーモニーが揃うと気持ち良いですし、頑張ったら頑張ったなりの見返りはあります。でも、その見返りは人それぞれです。ある人は「校内一、あるいは地区一になった証」が見返りかもしれませんし、ある人は「クラスが団結できた喜び」が見返りかもしれません。または「優勝したら先生がジュースおごってくれるって約束した」とかいうパターンもあるかもしれません。そういう風に人の価値観はバラバラなのです。
 ならば、「男子ちゃんとやんなさいよ!」と叫ぶ女子も、何を以ってして「ちゃんとやってほしい」のかを明確に示さないといけないと思うのです。それぞれの理想も信念もバラバラなのに、「ちゃんとやれ」とだけ言われても、やっぱり困ります。「なんか大きい声出せば良いんじゃね?」と思う人もいるでしょうし「やっぱり音程をそろえるべきだろ」と思う人もいるでしょう。
 で、ここで二つの落とし穴が。まず「言われるとやる気をなくす」人がいる事。いますよね?いっぱいいます。「自分としては『ちゃんとやってる』つもりだったのに……、そういう事言う奴にはもう協力してやらん」なんて、よくある話です。そしてもう一つは、上述したような「思いついた案」を実行するぐらいには「ちゃんとやってみた」けど、その女子の理想には届かなくて、「大きい声出すばっかりじゃなくて、音程も取りなさいよ!」とか言われる事。「えー、俺なりに頑張ったのに……、もう知らん」なんて、これもよくある話です。どちらにも欠けているのは具体性です。「ちゃんとやる」なんてアバウトな言葉では何も伝わりません。団結なんて、賞状なんて夢のまた夢です。


 「ちゃんとやんなさいよ子」にはまだあります。それは、「彼女自身がちゃんとしている」かどうか。特に合唱コンクールがある学生時代の女子は、結構自分の事を棚に上げて意見を言ったりします。私だってそういう卑怯な行い、やったのは一度や二度じゃありませんもの。
 例えば、休憩時間でもないのに仲良しグループで固まって喋るとか、先生の横に付いて叫んでるだけで自分が手本を見せてないとか、結構そういうパターンがあります。更にひどい事を言うならば、「ちゃんとやれ」と叫ぶ事で「自分は他人に注意している→自分は仕事をしている、サボってない」と逃げ道に繋げているパターンもあります。こういう女子の場合、そのポイントを突かれると逆切れする場合があるので危険です。
 ただでさえそんなにやる気の無い合唱コンクールなのに、「間違ったやる気」を出されると皆が迷惑します。もしその女子にとって合唱コンクールがかけがえの無い大切なものなので、「ちゃんとやってない」のが本当に腹が立っての行動だったとしたなら、「ちゃんとやれ」とかアバウトな事を言ってもらっても、熱意だけが空回りしてるわけですから、やっぱり迷惑します。
 で、忘れちゃいけないのが、最初に言った「言われなくてもちゃんとやってる男子」とか、あるいは「自分なりのスタイルで参加している人」の存在。そういう人にはもう、言っちゃいけません。当たり前です。「ちゃんとやんなさいよ子」のものさしだけで合唱コンクールが測れるのなら苦労はしません。「じゃあお前一人でやれよ、俺ら帰るから」で解散です。


 ニコマスって、いわば合唱コンクールにおける「団結力が高めのクラス」だと思います。歌唱力だってあります。「御三家」なんて言葉で語られるぐらいなんですから、「優勝候補」と言っても良いでしょう(ただ、「優勝するのが目的ではない→ランキングが全てではない」という違いがあると思いますが)。でも、目的と価値観はやっぱりバラバラです。ランキングに載るのが目標の人もいれば、数百再生、数十コメントしか付かないけど満足の人もいます。他人の評価はどうでもよくてただ俺の嫁が可愛い、なんて危ない人もいます。とにかく皆と騒ぎたいお祭り好きだっています。
 そんな個性豊かなP達が、クラスの人数どころか学校の人間全員よりも多く集まっているのがニコマスです。そんな中で「男子ちゃんとやんなさいよ!」なんてアバウトな事言われても、「なんだよそれ」って思います。これで態度を改めた上で具体的な意見を示して、「こういう事やんなさいよ」といおりんっぽいツンデレ声で言ってくれたら、その時はそこそこの人数が賛同するでしょう。でも、それでも全員は動かない。それぐらい大きいのがニコマスです。余りにも大きい「個人の集まり」です。
 何が言いたいのかって、「ニコニコできないアイマスMAD」には、確かに未来は無いと思います。でも、そんな口調と内容で言われてもこっちこそニコニコできないんです。


 私は、最近リアルが非常に切迫しており、毎日家に帰ると凄まじい疲労に襲われます。もう一日のエネルギーが保てない状況に来ているんです。でも、そういう疲れた時にお気に入りのニコマス動画とか、ニコマス紹介ブログの新着記事とか見ると活力が湧いてきます。これで命を繋いでる、というと大げさですが、これは十分に「ニコニコできるアイマスMAD」です。新着動画もロクにチェックしないヌルいニコマス住民ですが、それでもニコマスが大好きです。
 だから、毎日毎日「くだらないMAD」が上げられてたりするのも、それはその人なりの喜びと信念があるんだろうなあっていうのが理解できます。だから「ここはこうした方が良いんじゃない?」といった批評コメはするかもしれませんが、「糞MAD上げんな」とかの罵倒は絶対しません。そういう状況で一面的な価値観で決め付けられたらニコニコどころかプッツンしますよ。


 なんか久しぶりに感情をこめて文章を書きましたが、要は自己満足ですよね。私も、かのエントリも。でも、ニコマス界隈を憂えての話ならば、やっぱりそれなりの文章であってほしいと思います。
 私の場合は、正直「ニコマス界隈」を全て把握していないので、合唱コンクールというたとえ話で、私なりに噛み砕いて考えました。ジャンルとして巨大だから忘れがちになりますが、物事の本質って案外単純なものだと思います……と、ここは風野君が言ってました。
 あ、風野君はバレm@sに参加する予定らしいですよ。相変わらず「長ったらしいもったいぶった文章のノベマス」だそうで。




 ここまでふと気づきましたが、ここ暫くのサンデーの「神のみぞ知るセカイ」って合唱コンクールの「ちゃんとやんなさいよ子」みたいですよね。先生にしてみれば高い理想があってそれに基づいた行動なんだけど、生徒にしてみればはた迷惑なだけという、想像できるだけに残酷な事実。若木先生はこの手の人の心の闇を描くのが上手いですよね。可愛らしい絵柄で緩和されていますが、現実でやられたらかなりえぐいです。
 ……そう、えぐい。なんでここまで書いてしまったんだろうと思います。本当に申し訳ありません。「そういう人がいる」というのは理解していましたし、今更腹も立たないよと思っていたのですが、何故だか今回のエントリには、えらく「人に文章を書かせる力」があるように感じました。ぬるま湯に浸かっているだけの私にも「ニコマスのために何かしなければ」と思わせるだけの何かを。だからダシに使ってしまいました。
 私の日記なんてあんまり読んでる人いませんけど、そういう問題でもないですよね。でも、書いてしまったものは仕方ないので、敢えてこのまま公開しておこうと思います。hajicさんも批判を受けるのを承知で書いたんでしょうし、それをダシに使った以上私も同じぐらいの覚悟が必要ですものね。