ディケイド×シンケンジャー

 どうせなら映画で「シンケンジャーの世界に行くディケイド」をやるべきだったんじゃないかなあと思わないでもない今日この頃。


 そんなわけで観てきたのですが、シンケンジャーが予想外に面白かったです。
 というのも、明らかにディケイドの方に時間を圧迫されており、上映時間自体は非常に短いのですが、それを逆に利用してクライマックスと、それに至る盛り上がりだけで構成し、ストーリーの流れは最初に全てナレーションで説明してしまうという思い切った作りになっています。おかげで否が応にもテンションが上がり、クサレ外道衆の大群を馬で駆けていくシーンとか、具体的に何なのかはよく分からないのですがすごく面白かったですよ。これぞ映画!という大雑把さもあって、子供向けの娯楽映画としては高レベルだと思います。
 なお、この映画はどうも昔懐かしのアウトラン3Dのごとく(注:日本では出てません)3Dメガネに対応しているらしいのですが、残念ながら私が観た劇場は普通の2D版でした。あのメガネ、子供の頃から結構憧れてるので、観たかったなあ……。


 一方のディケイドは、まあ普通の平成ライダーの映画でした。「オールライダー」は確かにすごいですし、それを実現させるには並大抵の苦労ではなかったでしょう。しかし、ストーリーとかはいつも通り、というより駄目な方の平成ライダーとでも言いましょうか。
 個人的な感覚なのですが、平成ライダーの映画には龍騎を始めとした「完結編あるいは本編後の話」のパターンと、アギトや電王のような「本編のどこかに入る話」の二種類がありまして、この場合ディケイドは前者のカテゴリですね。で、私は平成ライダーの映画を全部観たわけではないのですが、前者の映画は面白かった例が無いのです。ここに「本編に先駆けて新フォーム登場」とか「ラスボスじゃないけど劇場限定ライダー」とかが入ってると尚更に駄目です。
 何故か平成仮面ライダーというものは大人向けの構成を求めるあまり、本来の「玩具を売る意味での子供向け要素」が剥離しているパターンが非常に多くなっています。「よく分からないけど進化したフォーム」とか、「最近このフォーム出てなかったから活躍させよう」とか、そういうのが見え隠れするんですね。で、このディケイドもそれは同じでして、「昭和ライダーも『とりあえず』出しておこう」的なものを感じました。
 確かに、私のような人間にとって、昭和ライダーは卑怯なぐらい嬉しいゲストなんですよ。最初のアマゾンにしたって、後半でズラッと並ぶオールライダーにしたって、テンション上がるなという方が無理です。でも、実はそこに必然性が無いんです。わざわざ「ディケイド=10年」という言葉を冠して平成ライダーの世界を周ってきたのなら、その10年から外れる昭和ライダーは、ある種特別な存在であるべきです。しかしこの映画では昭和はおろか平成ライダーすらもひっくるめて「おおぜいのなかま」以上の意味がありませんでした。最初に昭和平成入り乱れて戦うトーナメントも、騙されてるとはいえすごく薄っぺらい内容でしたし。
 そして限定フォームのライジングアルティメットクウガですが……うーん……。実は平成ライダーの中でクウガのアルティメットフォームはスペック上最強クラスであり、このライジング某は更にそれより強い強化フォームなわけで、パンフレットを見る限り、パンチ力100tというチートにも程がある破壊力の持ち主です。しかし、あの活躍のショボさは……。確かに黒い時は妹に操られてるから殺さないように手加減してたんでしょうが、赤くなってもディケイドと一緒に負けてるってどういうことなの……。いくら平成ライダーが展開の都合で強さが上下するとは言っても、文字通り最強の平成ライダーであるクウガがボロ負けして、新番組というだけでスペック自体は平凡極まりない「仮面ライダーW」がシャドームーンを圧倒するという流れは、さすがに呆れました。……まあスペックあるいは能力通りに解釈したら、昭和ライダーの後半の方は、平成のそれより圧倒的に強いのですが(ライダーマシンとかマッハ越えてますし、スーパー1のパワーハンドが300tらしいです)……。
 まあそんな感じで、「ライダーがいっぱい出る」のは確かに凄い事ですが、それ以上でもそれ以下でもない、本当に「ライダーがいっぱい出る」だけの映画でした。「あのライダーが劇場で出てる、感動!」というだけで満足する人はそれでも良いかもしれませんが、改めて思い返すとすごく空虚な気持ちになってきましたよ。


 さて話を戻して、ストーリーの方行ってみましょう。この映画は恐らく「仮面ライダーディケイド」の最終話でしょう。それは疑い無い事実だと思います。そうなると、散々「世界の破壊者」と鳴滝さんから言われてたディケイドは何者だったのかとかそういう謎も当然解かれるわけです。で、蓋を開けるとどうだったかと言えば、「ディケイドは世界の破壊者でした」という、蓋を開けた筈なのに身も蓋もない結論でした。……まあBlackみたいなライダーもいましたし、そこは良いとしましょう。そして記憶を取り戻した士は当然大ショッカーの親玉に君臨する……と思いきやシャドームーンに騙されていました。ホントにBlackと繋がりましたよ。
 そして大ショッカーの親玉に納まった時点で夏みかん達からは愛想を尽かされ、全てを失っているところにGACKTがやってきます。やべえ予想以上にカッコいい……じゃなくて、GACKTが「仮面ライダーの本質」を説くと士も復活し、「大ショッカーは俺が潰す!」という予告編のカッコいい士になるわけですが……なんか騙されてる気がするんですよ。この燃え上がりは確かに王道ではあるのですが……。
 で、考えてみると、GACKTこと結城丈二……というかライダーマン?変身シーンが無かったのでよく分からない……は元々裏切りの男です。特に原作の結城丈二はヨロイ元帥に復讐するために、わざとライダーのような格好をしてヨロイ元帥に戦いを挑むのですが、デストロン自体には「自分を見出してくれた組織」と恩義を感じていました。しかしやがてデストロンの本質を知り正義に目覚めるとプルトン爆弾に乗り込み、宇宙空間で散るのです。そこでV3はライダーマンを初めて「仮面ライダー4号」と呼びました。悪の組織に改造された被害者である一号二号や、自分で二人に改造を志願したV3と違い、結城丈二は元々が悪人というか悪に加担していたので、自らを犠牲にするという英雄的行動を以って、その罪を赦されて正義のヒーローたる仮面ライダーの仲間入りをしたわけです。
 じゃあディケイドこと門矢士はどうなんでしょうか。記憶を失っていた本編ではいろいろ問題行動もありましたが、まあ善人でしょう。しかし、記憶を取り戻してからはハッキリと悪人です。今までの行動も全て無かった事にしてしまいます。でも騙されていて、夏海の元に戻ろうとする辺りは、もう無様としか言えません。記憶を取り戻して過去を捨ててしまうという展開は分かるのですが、捨てた筈の場所に戻ろうとしていますからね。それぐらい無様な事をして、しかも世界を滅ぼすような悪事をしでかしたのなら、「大ショッカーは俺が潰す!」だけでは済まないと思うのですよ。シャドームーンあるいはキングダークと相討ちになるか、全てが終わってからたった一人で償いの旅に出るとか、そういったある種の暗いラストを用意するぐらいでないと、「仮面ライダー」には戻れない気がします。「平成と昭和じゃノリが違うじゃん」という意見もあるかもしれませんが、士が復活するきっかけが他ならぬ結城丈二なので言い訳できないと思います。
 なんというか、展開そのものは非常に面白いんですが、全体的な詰めが甘く感じました。上の仮面ライダーのなんたるかもそうですし、とりあえず思いついた疑問を挙げると「士が世界の破壊者だったのは良いとして、何故記憶を失ってたの?」「死神博士と栄次郎さんの関係は?」「夏海が見た『世界が破壊されるビジョン』の正体は?そもそもなんで夏海がそんなのを見れるの?」「ディケイドが大ショッカーの側なら、アポロガイストとかはディケイドに共闘を持ちかけたりはしないの?」etc……いやしかし、これはテレビで明かされる可能性もありますね。栄次郎さんが死神博士だとしたら、その孫である夏海にもある種の超常能力とかが備わっている可能性もありますし、最終話がモロに劇場版への前振りで終わる展開なら、劇場版で明かされないという構成も考えられなくはないです(私は「劇場は劇場で完結するべき」だと思っているので、あんまりそういうのは好きではありませんが)。
 あと、鳴滝さんが結局善人だった事については、あの人が口下手でツンデレな性格なのは明白なので別に驚きませんでした。恐らく大ショッカーを裏切って逃げてきたとか、既に滅ぼされた世界の生き残りとか、そんな感じの素性の人なのでしょう。その過程でディエンドライバーを奪った海東とも知り合っていてもおかしくはありませんし。この辺りの謎は明かされなくても脳内補完できる程度ですし、何より鳴滝さんが本当のデレを見せてくれたので大満足です。きっと昭和ライダーとかに連絡を取って集めたのも鳴滝さんですよ。縁の下で活躍しすぎですよ。これはもう俺の嫁としか言いようがないですね。


 ディケイドもシンケンジャーもすごく「勢い」のある映画でした。それは間違いありません。しかし、シンケンジャーはそれが良い勢いだったのですが、ディケイドはそこに要らぬドラマがあるというか必要なドラマが無いというか、なんか足を二歩ぐらい踏み違えた勢いな気がします。足は速いのに足元のフォームが崩れてる陸上選手というか、醤油を一晩煮込んでない味平カレーというか、とにかくそんな感じです。
 余談ですが、「自分が悪の組織の首領になる→部下に裏切られる→仕方ないから自分でヒーローになって悪の組織を潰す」という展開は島本和彦先生が「怪奇カメムシ男」で描いてましたよね。あれはパロディですから細かい点はある程度許されますが、本気でやると難しいんだなあと再認識しました。