あんな機械的なものが……

 ちょっと連絡。風野君に最近音沙汰がありませんが、特にここ一週間程は、ネットに顔を出せない状況下におります。元気……かどうかは知りませんが、とりあえず生きてはおりますので、ご安心を。それと、ご迷惑をおかけして本当に申し訳ありません、との事です。
 ……ていうか、私としても内心気が気じゃ無かったので、今回の連絡と情報公開を嬉しく思ってたり。


 富野作品において付き纏うのが、「巨大人型メカの必然性」。「機動戦士ガンダム」において、「あんなでかい機械が戦場においてまともに使えるはずがない」という理由で発想されたのがミノフスキー粒子なのは、ちょっと詳しい人なら知ってると思います。他には、戦闘メカザブングルにおいては「二本足で歩きたい」という願いがウォーカーマシンを作ったり、「遺跡だから無駄にデカイ」イデオン等があります。
 しかし、そのガンダムミノフスキー粒子というのは、実は「機動武闘伝Gガンダム」の未来世紀においてミノフスキー物理学自体が衰退しているらしいのです。尤も、Gガンダムの作中ではその話は無く、後の「∀ガンダム」において黒歴史の一つとして設定されただけなのですが。なお、Gガンダムは富野作品ではありませんが、「巨大人型メカのプロレスによる代理戦争」が目的なので、これも必然性があると言えますね。
 でも、じゃあそうなると、∀ガンダムにおける「巨大人型メカの必然性」って、一体何なんだろうなあと考えるんですが……。実際、作中ではメカの大きさも形もバラバラで、ウァッドのような人型とも巨大とも呼べぬようなメカが活躍したりしています(さすがにMSには負けていますが)。
 そこで出した一つの結論が、イデオンと同じ理由で「遺跡」だから。作中では地球人はおろかムーンレイスも、かつての技術は衰退して、強力な兵器は遺跡から掘り出した∀なりターンXなりという状況でした。そして、それらMSが他の兵器に対して「強すぎる」から巨大人型メカが活躍する必然性を生み出しているんじゃないでしょうか。
 ∀は全ての終着点ですが、もし∀の続きの話が描かれるとしたら、巨大人型メカを基に、より効率化された別の形態のメカが活躍しているかもしれませんね。この理屈なら。


 全く話は変わりますが、富野作品において、「メカ」という言葉は頻繁に使われますが、「ロボット」はあまり使われません。∀で言えば、自動操縦のズサンに対してのみそういう表現を使っていたと記憶しています。これは、ロボットが「自律機械」であって、人が操縦するものはロボットに含まないという意味合いがあるからだそうです(定義は曖昧ですが)。つまり、パイロットのいるMSはロボットではなく、Wに登場したMD等はロボットという事になるわけです。サイコミュのビットMSは、これもやっぱり人が操縦するものなんでしょうね。