神勝平:幸運+不屈

 「ドラクエは何気に鬱シナリオだ」という話を聞いた事があります。初期はそれほどでもないのですが、特に天空の4辺りからの主人公の不幸っぷりは結構なものだ、という感じに。で、試しに5の主人公を例にとって考えてみましょう。
 ……というような話を気の向くままに書いていたのですが、結構長くなったので二日にわたって書いています。日記は一日で書かなければ意味が無いと個人的に思っているので、かなり残念な感じ。

  • 国王の父と特別な力を持つ母に生まれる。が、物心付く前に母は魔物に誘拐される。

 母親がいないというのは不幸ではありますが、この程度は「冒険の理由付け」として、主人公には珍しくありません。実際、青年時代の主人公は「母親探し」を目的として動いています。

  • 父、主人公を連れて放浪の旅に出る。「伝説の勇者」を捜す為、引いては母を助ける為だが、主人公にはそれは教えられず、自分が王族である事も知らない。

 これも上と同じ理由で、特別不幸というわけではありません。しかし、王族である事を教えなかったのは何故なんでしょうね?自分が国を置いて放浪しているから教えにくかったんでしょうか。

  • 子供にいじめられていた獣を助ける為、幼馴染と共にお化け退治をする。

 これは不幸ではありませんが、後々の伏線という事で。

  • 父と共にとある国に行くと、王子が誘拐される現場を目撃。犯人は国王の後妻で、自らの息子を王にする為、血の繋がっていない王子を処分しようと、人身売買のグループに話を持ちかけた。

 何気に不幸なのがここ。誘拐された王子を助けるというありがちなシチュエーションですが、犯人は魔物ではなく人間。要はお家騒動に巻き込まれた形になります。なお、この後妻の女王は後に魔物に取って代わられ、地下牢に幽閉されます。悪い事はするもんじゃありませんね。

  • 実行犯達は魔物と組んでおり、目の前で父が嬲り殺される。最期の言葉は「ぬわーーっっ!!」。主人公、魔物に連れられ新興宗教の奴隷にされる。以後10年、王子と共に絶望の日々を送る。

 人生の転換点その1。10年ですよ。ゲーム中ではサラッと流されますが、10年間の奴隷なんて、戦後日本に生まれた人間には想像も付かない体験です。これで自暴自棄どころか、むしろ人間が丸くなった王子は尊敬に値します。主人公も10年の間で王子とすっかり打ち解けていましたから、彼の明るさは救いとなっていたでしょうね。なお、「新興宗教」としましたが、この「光の教団」の経典と思われる「イブールのほん」の扱いやその信者等から見て、世紀末に流行った「終末論に引っ掛けた宗教書」等をイメージしていると思われますから、新興宗教で間違いは無いと思います。

  • とある事件をきっかけに王子と教団の女性と共に脱出。子供の頃過ごした町に戻るが、父が王子誘拐の疑いをかけられ、報復として国の兵士に滅ぼされていた。使用人も幼馴染もいなくなっている。

 懐かしい我が家が町ごとボロボロに……。なおゲーム中の小ネタとして、この町の構造はボロボロになっている以外は同じなのですが、実は青年時代の町は少年時代の町よりも全体的に小さくなっています。「大人になると子供の頃の思い出の場所が小さく見える」を視覚的に表現しているそうです。

  • 町の洞窟で、父の遺言を見つける。これにより自分の旅の目的と父の真の意志を知る。

 ドラクエ5という物語はここから始まっていると思います。そしていきなり最強武器の「てんくうのつるぎ」が手に入ってウハウハかと思いきや、主人公には装備できない→主人公は勇者ではないと明確に提示されたのは何気に衝撃でした。そして預かり所の肥やしになるてんくうのつるぎ。そのまま刺しておけばカッコついたかも。

  • 王子と共に魔物が支配していた国を救う。以後、王子と別れ、一人旅に出る。

 一人旅とは言いますが、実際には仲間モンスターが一杯いるでしょう。ほとんどの人はピエールを使っていると思いますが(小説版もピエール大活躍ですし)、私はひねくれていたのでホイミンを主力にしていました。

  • とある村で「獣が畑を荒らすので退治してほしい」と依頼を受けるが、獣の正体は幼い頃子供から助けた獣が成長した姿だった。お互いを認識し和解するも、村人からは「獣とグルだった」と誤解を受け、避難される。

 何気に鬱ポイントです。「聞く耳を持たない閉鎖的な村」といった感じでしょうか。とかくドラクエにはこの手の誤解イベントが多く、しかもそれをしないと進めない場合もありますから(このイベントは飛ばせますが)、イベント後に一人はいる「お前はそんなに悪い奴じゃない、俺は分かってる」的な台詞を言うキャラの存在が非常にありがたくなります。余談ですが、青年時代の後半にこの村に行くと「あの時は悪い事を言ってしまった」と反省してる台詞が聴けるのですが、PS2版だとそのままらしいです。

  • 伝説の勇者の手がかりを捜す主人公。とある街で伝説の勇者の盾を保管している富豪を知る。富豪は一人娘の結婚相手を探しており、成り行きで主人公も結婚の条件を飲む事になる。その過程で幼馴染と再会し、富豪もまた主人公の人柄に惚れ込み、自分の娘との結婚ではなくどちらかを選んでの結婚を勧める。

 人生の転換点その2。私はひねくれていたので最初はフローラにしたのですが、それをやるとビアンカが可哀想すぎる事になると気付いたので、二回目はビアンカにしました。でも最初はまずルドマンでした。その次が使用人のおばさん。
 この辺りでちょっと気付いたのですが、ドラクエ5の主人公はとにかく「他人から好かれる」人格の持ち主です。富豪が惚れ込むのもそうですし、先の獣退治にしても、ほとんど見知らぬ状態から依頼を受けています。そして魔物すら改心させるという主人公は、偉大な国王である父と特別な力を持つ母の両方の良いところを受け継いでいるんでしょうね。

  • 結婚し、富豪から船も譲り受ける。そして自らが王族である事を知ると、自分の国を目指す旅に出る。

 この辺はちょっと記憶が曖昧です。確かテルパドールの女王が王族だと教えてくれたんだと思いますが、あの国はルーラで行けないからイマイチ印象に残っていません。

  • 使用人とも再会し、国へ帰還。時を同じくして、妻の妊娠を知る。

 今までの不幸を全部チャラにするぐらいの幸せの連鎖。しかしこれも、「持ち上げて落とす」為の前段階でしかないのである……(適当)。余談ですが、「ゲームの進行に比べて妊娠が早すぎる」とよく言われますが、実は人々の台詞を一つひとつ読んでいくと、旅の過程で結構な時間が経っている事が分かります。10年+8年がプレイヤーにとって分かりやすい経過時間ですが、「20年前の〜」といった台詞が後半にあったり。

  • 王になる試練にも合格し、即位式。妻は双子を出産。しかしその夜に妻は大臣の陰謀によって魔物に誘拐され、騒ぎになる前に主人公は一人捜索に向かう。

 母親と同じシチュエーションですが、微妙に状況が違うのがポイントです。そして、またしても「原因は欲深き人間」。この大臣も「ぐふっ」の名台詞と共に死ぬのですが、負の転換点の原因の二つともが魔物ではなく人間な辺り、ドラクエ5の業の深さを感じます。

  • 魔物を追ってアジトに来た主人公。「民を放ってやってくるとは、王として失格」と、かつて父を嬲り殺した馬面に罵倒されながらも倒すと、最期の力で夫婦共々石にされてしまう。その後、財宝目当ての人間に発見され、「生きているような石像」として売りに出される事になる。

 あの馬面の台詞はなかなかに皮肉が利いています。「俺は、自分の幸せを失いたくなかっただけなのに……!」と主人公が言ったかどうかは知りませんが、主人公は王としての地位よりも、まず個人の幸せを得たかったでしょうね。王も親との繋がりの一つなので大切にしたでしょうが。なお、PS2版以降では馬面はそのまま死亡し、「ぬわーーっっ!!」を言わせた親玉が代わりに石にするのですが、これによって親玉との因縁は増しても、「念の為」でゴールドオーブを砕くような用心深い性格にあるまじき詰めの甘さを露呈していると思います。10年の間に衰えたか……。

  • とある富豪に2000Gで落札された主人公。妻は別の当てがあるらしく、離れ離れに。以後、富豪の家の守り神となるが、数年後富豪の息子が魔物に誘拐され、「何が守り神だ」と倒され、放置され、計8年が経過する。

 人生の転換点その3。ドラクエ5の随所に現れる「人間の身勝手さ」を象徴しているエピソードです。勝手に守り神にしたのに、役に立たなかったからと言って八つ当たりする。そして、わざわざ季節の流れまで表現しており、ドラクエのディフォルメされたグラフィックじゃなかったらトラウマになっていたかもしれません。何気に、「自分の子供には会えないのに、他人の子供の成長を見せられる」のも鬱ポイントが高いですね。あと、PS2版では20000Gと、幾分か値上げしているようです。

  • 主人公、使用人と成長した息子と娘によって発見され、呪いを解かれる。息子は伝説の勇者の武具を身に付ける事が出来たといい、また8年の捜索の過程で母親の故郷を偶然発見しており、新たな旅に出る事になる。

 「自分の息子が勇者」という、当時はなかなか無かった(と思われる)どんでん返しと、親子三代に渡る壮大なドラマの幕開けです。でも息子と娘は育てるのが面倒だったので、途中で酒場行き。使用人は知らん。ピピン?何それおいしいの?(PS2版ではすごくおいしい)


 とまあこんな感じで、以後は妻を救ったり世界を救ったりといろいろありますが、特に不幸なエピソードも無いので。……しかしこうやって並べてみると、とにかく不幸で、主人公はそれに負けない人格者ですね。特に10年間の奴隷生活と、8年間の石化の原因が二つとも「地位に目がくらんだ人間」にある辺りがすごいと思います。そして、必ずしも人間と魔物の対立を描いているわけではなく、ラスボスこそいわゆる「魔王」ですが、その前の大ボスは「魔王を神を崇める新興宗教の親玉」であり、それまでのボスはイベントもその宗教に絡んでいたりと、人間と魔物の区別無く描いていると思います(実際、イブールは小説版では元人間になっています)。それによって、より人間の恐ろしさが強調されていると思います。また、町の中に「いいスライム」がいたり、逆に大体のダンジョンでは中に旅人や盗賊がいたりする等、人間と魔物が世界観で切り離されていない辺りも細かい演出だと思います。
 しかし、これだけ不幸な展開が目白押しなのに、それでもドラクエ5は愛されています。私も大好きです。じゃあ何が好きなのかなあと考えると、やっぱり「ゲームしている時」、つまり戦闘とか買い物とか、自分が自由にできる空間がよく作られているからなんだと思います(勿論、ストーリーも好きですけど)。モンスター一つ例に取ってみても、皆愛嬌があって、見てて飽きません。スライムやドラキー等は勿論の事、後半の化け物じみたモンスターでさえ、可愛いデザインだったり表情豊かだったりと、倒しはするけど憎みきれない奴らばっかりです。
 そういうレベルでの可愛さ、親しみやすさがあるからドラクエは愛されるわけで、それが無かったらここまでのヒットにはならなかったでしょうね。それでも、八年間の石化生活を思い出して、ちょっとだけ鬱になった私でありました。うーむ。