三軸の調和

アイマスはプレイした事無いんですが、動画を作ってみました」
 こんな文句をニコニコ動画で見た事がある人、いるかもしれません。私もあります。始めはその言葉になんとなく違和感を抱いていた私ですが、今になって気にならなくなってきました。何故か。それはアイマスに対する「ニコマス」の認識を改めたからです。
 今までの私は現実世界の先にアイマス世界があり、更にその先にニコマス世界があると考えていました。より一般的な言い方をすれば、創作物が何も無い状態に対する、「本家」と「二次創作」という階層構造です(そのまま言葉を入れ替えて適用させる事も可能だと思われます)。ですが、ある程度ジャンルが巨大化すると、冒頭の言葉を枕に参入してくる人が発生します。そこで「階層をすっ飛ばすなんて可能なのか」と不可解な気持ちになるのは尤もですが、でも現に参入してきているんですから仕方ありません。私は認識を改めました。
 言うなれば、タイトルにある「三軸の調和」。ニコマスは確かにアイマスがあって初めて発生したものですが、直接ニコマスに入ってくる人がいる以上、それは最早別ジャンルであり、正三角形のような調和で成り立つべきものなのです。


 なんでそういう事を考えるかと問われれば、実は私、最近ニコマス動画をほとんど観ていません。しかし嫌いになったわけでもなく、面白そうな作品はぼちぼちとチェックしています。そして何より、風野君の動画が今になって本当に面白いと思えるようになってきています。じゃあ今までは面白くなかったのかと問われれば、恐らくは「どこに面白さを見出すか」の違いだったんじゃないかなあと思うのです。
 言うなれば、昔の風野君の動画はニコマス的であって、アイマス的要素は薄かったと思うのです。彼が度々「アイマスの必然性が無い」と嘆いていた理由がここで分かった気がして、彼の作る動画はニコマスを土台にしたもので、アイマスとは似て非なる感触を持っていたと気付いたのです。しかし、ここ暫くの彼の動画はアイマス世界の上に成り立っていて、そこが私には心地好く感じられたのでしょう。上の方で語っていますが。
 そして、それだけなら三軸の調和については考えないのですが、例えばタミフルPの『エロゲーっぽいアイマス』をアイマスと呼べるかと問われれば、私は呼べません。しかしそれでも多くの人から認知されています。だったらそれは「アイマスではなくニコマス」だと思うのです。派生したものでありながら、派生元が残っていないという話は往々にしてあります。
 ならば「現実」とは何か。アイマスニコマスだけで語れないのかという話ですが、私はわかむらP等がここにいるんじゃないかなあと思います。あの人はその職業のせいなのか、「依頼で動画を作る」という仮想の基にPV制作を行っているそうです(ソースは、本人のブログだったかな?)。実際わかむらPの動画は、アイマスである必然性もニコマスである必然性もあまり無いように感じます(本人の好き嫌いまでは知りません。嫌いだったらやってないとは思いますが)。極端な話、それが優秀な素材だからアイマスを使っていて、発表するのに手ごろな場所だからニコマスにいるとでも言いましょうか。そういう異質さをイレギュラーと呼んでしまっても良いのかもしれませんが、私はそこにとりあえず「現実」という言葉を当てはめてみました。あるいは様々な教養講座も、アイマスというよりはニコマス、それ以上に現実に近いものではないでしょうか。
 私はどれも否定しません。ただ、アイマスは好きだけど、ニコマスは思ったほどは好きじゃなかったかもしれないという程度の話です。現実的な要素とアイマス的な要素、そしてニコマス的な要素、そのバランスが動画の面白さ、ひいては人の好き嫌いに関わってくるんじゃないかなあと思うのです。


 そしてここからはちょっと愚痴っぽい話。私がニコマス動画を観なくなった理由の一つとして、「2chニコマススレがちっとも面白くない」があります。私がニコマススレをチェックするようになった当初はとにかく面白い動画や興味深い話題を皆が持ち寄って、常に人が溢れていました。確かに荒れる事もありましたが、「まあ2chだし」と広い視点で見れば些細なものでした。
 なのに最近は常に荒らしがいて、スレ全体に陰鬱な空気が漂っています。しかも荒らしの話題は「アイマスのこのキャラが嫌だ」とかそんな話ばっかりで、「ニコマス」とちいとも関係無い、非常にレベルの低い荒らしです。「好き嫌いと良し悪しは違う(by風野シュレンP)」という二次創作以前の認識すら分からず、永遠に答えが出ないままに人生を消費するだけで、見てて嫌になります。なんでこんな奴のいるスレにいなきゃならないんだろうという気持ちが、私をかなりニコマスから離してしまいました(情報収集は基本2chなのでw)。
 先に挙げた「現実」「アイマス」「ニコマス」という三軸は、いわば会話の前提条件です。アイマススレならアイマスの話題で良いですが、ニコマススレならニコマスの話題をするべきであって、アイマスの話題は「スレ違い」です。ましてや現実なんてクソ食らえです(笑)。あのPがこういう会話をしていたとか、そりゃ人それぞれ、見解の相違だってありますし、会話する場所が変われば会話の前提条件も変わります。それを考えずに持ち上げて糾弾するとか、さすが荒らし、適度に頭が悪いのか狙ってやってるのか判断が付かない辺りが余計に腹立たしい!等と嫌な風に感心した私は、もうスレを見るのも億劫になってしまいましたとさ。めでたくなしめでたくなし。
 それと。秋月律子には秋月律子の良さがあり、悪さがあります。私はそういう良し悪しを認識した上で、アイマスキャラの中で秋月律子が一番好きです。他の人だってそうでしょう。「理想のキャラ」なんてのはそうはいません。せいぜいが「理想に近いキャラ」です。そして「自分が好きでないキャラ」だって、「他の人が好きなキャラ」かもしれない以上、好き嫌いと良し悪しは別で議論すべきなんです。なのに自分の好き嫌いとキャラの良し悪しを混同して「こいつはいらん」等と言う人間には、最早かける言葉が見つかりません。


 という話を、大体年末から年始にかけて考えていました。日常がようやく日常に戻ったので、そろそろ日記も再開しますね。