ドラえもん のび太の人魚大海戦

 「フュージョンジャック」でググったら、「フュージョンジャック フュージョンジャック フロート」が候補に出た。いじめ、カッコ悪い。


 ドラえもんの映画を観に行ってました。今年の映画は『人魚大海戦』という事で、海が舞台です。
 海が舞台の大長編というと第四作の『海底鬼岩城』を思い出しますが、やはりというのか、鬼岩城のリメイク的要素も孕んでいましたね。魚がモチーフの船やコテージ等の小物を始めとして、テキオー灯の解説と効果時間等の細かい点や、海の民同士の穏健派と過激派の争いといった基本プロットに類似点があります。
 また、直接の原作というか原案として、コミックス41巻『深夜の町は海の底』があります。「架空水面シミュレーター・ポンプ」「架空水体感メガネ」「架空海水まきぞえガス」で町に海を作り、迷い込んだサメと戦うというストーリーがそのまま映画の序盤に使われています。
 で、今回のテーマは「人魚」。大長編恒例のコスプレも、全員が人魚ルックとなり、ドラえもんは太いので河豚(フグ)扱いされるというギャグが使われていたり。そして、伝説の「人魚の剣」を手に入れて世界征服を企む怪魚族(人魚族の元同胞)と争いになる……といった話です。
 この「人魚の剣」というのを最初聞いた時、「なんて『子供向け映画』なストーリーなんだ!」とある種の感動を覚えました。伝説の人魚の剣ですよ。まるでどこぞのRPGのようです。そして実際に話の展開も子供向けでしたし(勿論「大人が納得できる子供向け」ですが)、最近はこんなのがウケるんだなあと思いながら観てました。
 しかしよく考えてみれば、『海底鬼岩城』も同じく「伝説のムー大陸」という点ではそう変わらないんですよね。何を伝説にして何を目指すかというテーマは時代によって変化するものですから、「1980年代の伝説」がムー大陸だっただけで、しかし今時ムー大陸は流行らないんでしょう。それこそ『大魔境』で触れられていたように、もう地上で未知の発見はそうそうあるはずはありませんから、「2010年代の伝説」を新たに考えた結果が「人魚」であり、「人魚の剣」なのでしょう。ですから、「鬼岩城を劣化リメイクするな」という批判があったとすれば、それは的外れだと思います。


 でも更に両者を比較して考えると、30年の年月では説明できない明確な違いがあります。それは、「藤子・F・不二雄のオタクっぽさ」。『人魚大海戦』を観てて感じたのですが、最初に挙げた「海底鬼岩城から持ってきた小ネタ要素」の辺りが、映画全体のイメージから強烈に浮いているのです。
 ぶっちゃけて表現すると、「光を浴びる事でどんな環境でも生きていけるようになる。ただし24時間限定」というテキオー灯って、その解説がすごく「オタク臭い道具」だと思うんです。「食べればどんな言葉でも翻訳できる」ほんやくコンニャクの大雑把さと比べてみれば、なんとなく理解してもらえると思いますが。「一日」ではなく「24時間」という辺りとか。
 藤子先生が古き良き?オタクなのはちょっとドラえもんを読み込めば分かる事ですが、『海底鬼岩城』もまた「海の底に潜む伝説・ロマン」を大元の発想にしていると思います。冒頭は定番の幽霊船で一気に物語に引き込んで、序盤では大陸棚から海溝までの海の構造やそこに住む生物をしっかりと解説し、そしてムーとアトランティスの伝説とバミューダ三角海域といった要素をアレンジする事でまとめて舞台に組み込んで、物語を通して活躍するのがゲストキャラではなくひみつ道具の「水中バギー」……これをオタクのロマンと言わずして何と言いましょうか。単なる移動シーンにさえ「ホーン岬」等というマニアックな地名を持ち出して会話する事で、「すこし・ふしぎ」でありながら現実味を増す事も忘れません。これらの要素から藤子先生が「海」を愛していて、存分に活用して描いている事は疑いありません。
 そしてそもそも藤子先生が「海底の物語」を『海底鬼岩城』の時まで描かなかった理由は、「海底は暗く危険な世界」だからであり、それ故にお話として踏み切れなかったからだそうです。しかしそれを「明るい冒険物語」として成立させたのは、「テキオー灯」という道具を思いつけたから。勿論、ただ海底が平気になってしまうのでは海底に行く意味が無いので、万能でありつつも「24時間」という弱点を設定したわけです。つまりテキオー灯とは、藤子先生の海にかける情熱(=昔ながらのオタク魂)が詰まった道具なわけです。
 が、『人魚大海戦』にはオタク臭さが全然ありません。確かに人魚は太古から語られる伝説の生き物ではありますが、誰でも思いつく要素であって、そこには「海だから人魚」「人魚だから海」程度の意味しか感じられず、海ならではの面白さとしてはまだ足りません。これで各地の有名な人魚伝説に絡んだストーリーを用意して、その謎を解き明かすといった構成にすると、より「わくわく感」が増したと思いますが、正直人魚が剣とか鎧とか言われても、いまいちピンと来ませんでした(そういう伝説があったらごめんなさい)。
 それが悪いとは言いません。物語は「すこし・ふしぎ」で良いんですから。ただ、そこに藤子先生のロマンの象徴であるテキオー灯とかを組み込むと、妙に違和感を感じてしまう気がするのです。いっそのこと、完全にファンタジーに徹してくれれば良かったのに。昔漫画版の『海底鬼岩城』を読んで、テキオー灯の効果が切れる寸前のスネ夫ジャイアンの姿に軽いトラウマを植えつけられた私としては、しずちゃんがあんなギリギリで助かったのに「意外と平気」なのが、特に違和感を感じました。


 子供向けとしては面白いと思います。大人も耐えうるドラマ性もあると思います。でも、「藤子っぽさ」はかなり薄いでしょう。嫌な言い方をすれば、ドラマはあってもロマンはありません。まあ、家にいながらにして世界中をPC上で観察できるような「現代」に、ロマンを求めるのが間違っているのかもしれませんが。
 私はドラマも好きですが、ロマンの方がもっと好きです。そういう意味では、この映画はちょっと残念でした。でも、スタッフロールのドラえもんのポーズに懐かしさを覚えたので、最後は笑顔で映画館を出られたのではありますが。