空想具現化

 「(受け手に対し)想像の余地を残す」という言葉があります。素晴らしい発想だと思います。
 しかし、その「想像の余地」が、「実は深い物語があるけど、表面的にはさわりだけにしておいた」のか、「あんまり細かいところは考えてないので適当に脳内で補ってね」なのかで、その意味合いは大きく変わります。一言で言うならば、前者は「補完」で、後者は「補間」です。
 ちょっと嫌な表現で書いたので「補間」の方が無責任だと思うかもしれませんが、私は実はこっちの方が好きです。何故かというと、前者は確かに謎を解き明かす面白さがあるのですが、最終的には「制作者が設定した枠組み」が見えてきてしまい、「これ以上広がらないんだな」という、ある種の絶望感を味わう可能性があるからです。対して後者は、未開の荒野。そこに家を建てようが道を作ろうが自由です。脳内だけですが、永久に楽しむ事も可能でしょう。勿論、前者には後者以上に責任感があるわけですから、それ故の面白さもありますが。


 昔のゲームとか漫画とかは、結構な割合で「細かいところは考えてない」ものでした。でもある時期以降のリメイクブームで作られた続編とかを見てると、「考えてないようで考えてる」構成になって、結果的に「補間」から「補完」にすり替わってる作品が結構多いので、あんまり話題にならずに消えていくものが多いのも頷けるなあと、脳内で結論付けてみる私。
 例えば『リングにかけろ』とか『魁!!男塾』は「週刊少年ジャンプで毎週一話ずつ読む」から面白いのであって、コミックスを揃えて読むと整合性とかはメチャクチャです。でも、その子供世代が親世代からの因縁とか運命とかで戦う「リンかけ2」「曉!!男塾」は、もうその時点で枠組みに入れられているので、1と同じ次元での面白さは全然ありません。……BLEACHはもうちょっと細かいところを考えなければ、本当の意味での「リンかけ2」になれると思うんですけど、まあそれは良いや。


 ……と、想像の余地がある作品であるところの『ファイアボール』を観ながら、そんな事を考えました。この作品にもなんとなく「果て」が見えているんですが、でも映像特典のアレとかを観ると「実は全部ウソでした。テキトーに考えてね」と解釈する事も可能なので、実に上手い構成だなあと再び感心しています。