読者のいない漫画

 コミケは皆が「参加者」です。そこに「客」「店」の概念は無く、純粋に「好きな人達」が集まって交流するのが、コミケのあるべき姿です、と、ここ数年コミケ的なものに全く参加していない私が言ってみます。


 バクマン。を読んでいて、いつも「何かが気に入らない」と思っていたのですが、今年のコミケの話題を見ているうちにある事に思い至りました。「読者、ファン」の存在が、バクマン。には全く存在しないのです。
 これが「燃えよペン」とかなら別に問題はありません。あれは漫画家が漫画家たるための魂を語る漫画ですから。でもクリエイターを題材にするなら、それを利用・購入した消費者の声は、あって然るべきです。
 勿論、主人公のサイコーとシュージンが読者の存在を無視する事自体は大いに結構です。万人受けしない「邪道漫画」を掲げていますし、面白くするために読者の声を取り入れようとしたら「それはダメだ」と止められたエピソードもあります。何より彼らは「面白い漫画を描く」ためや「憧れの職業だった漫画家の人生を謳歌する」ためではなく、「アニメになるぐらい売れて勝つ」ために漫画を描いていますから、読者なんてクソ食らえぐらいの気分でしょう。穿った見方ですが、「感想なんぞいらんからアンケートで一位に書けや」ぐらいには考えているかもしれません。
 でも、漫画家は大人になった今の私が考えても「憧れの職業」です。毎日絵ばかり描いてウンザリするでしょうし、お話も考えないといけないし、何より面白くないと原稿は紙切れ以下になるという世界だとは知っていますが、それでも時々「漫画家になりたかった」と思う事があります。ですから、漫画家が登場するなら、一人ぐらいは漫画家である事に誇りを持ち、「漫画家じゃないファンの子達」と交流を持つ「理想の漫画家」が一人ぐらい登場しても良いと思います。せっかく平丸先生という、「一般人から見ても漫画家のダメそうな部分を具現化した人」がいるのに、「一般人が考える理想の漫画家先生」が一人もいないのはおかしいと思います。
 それに、漫画家が漫画家になれる瞬間ってどこなのかと考えれば、たぶん「初めてファンレターが来た時」だと思うんです。特にジャンプ等は「代理原稿」と言って、急遽雑誌のページに穴が空いた時のために新人の漫画を載せる場合があって、そういう漫画は大抵「読切として宣伝する程じゃない、緊急の代理でしかない」程度の面白さしかありませんから、「雑誌に漫画が載った」だけじゃ漫画家にはなれないと思います。ですから、編集者等「漫画を読むのが仕事の人」ではない、見知らぬ一般人から感想が来るというのは、初めて世間的に漫画が評価された瞬間、つまり「漫画家になった瞬間」になりうると思います。
 また、ジャンプ漫画には単行本でキャラクター設定やエピソードごとの裏話等を書いた書き下ろしが度々ありますが、聞いた話ではあれは原稿料が出ないそうです。まあ実際には出てるかもしれませんが、そもそも連載の時点で完成しているものに、更にオマケを作るという行為が、相当なサービス精神の現れなのは間違いありません。これを楽しみに単行本を買う読者は多いでしょう。なのに、バクマン。では「単行本を出す」という漫画家としてもファンとしても一大イベントであるエピソードが全く語られません。これで実際に物語中の漫画がどういう内容なのかも具体的に描かれていないのならば、「皆一体誰と戦っているんだ……?」とトランクス青年のような台詞をかけたくなります。尤も、主人公の二人が「連載時のアンケート」しか考えていなかったとすれば、単行本なんて邪魔なだけですし、書き下ろしもしないでしょうが。
 何が言いたいかと言うと、邪道を進むにはそれなりのリスクがあって然るべきなんです。例えば、子供向けを意識して描いた主人公達の連載第二弾「走れ大発タント」、これは実際に子供にはそれなりに評価されていたそうですが、「やっぱダメだ」と自分達で打ち切りました。なら、その「支持していた子供」からの悲しみのファンレターが来ると思うんです。そういうのって、漫画家としては辛いと思うんです。漫画家じゃない私が言っても説得力が無いかもしれませんが、これで全く悲しまないのなら、こいつらはとっくに人間を辞めてると思います。実際にそういう手紙が来て、「でもゴメン。『タント』は俺達の描きたいものじゃなかったんだ」と切り捨てるシーンがあれば、それはそれで二人の決意と人間性が感じられて、ちょっとは見直したでしょうが……。


 「自分達で打ち切る」で思い出しました。かつて「幽遊白書」を描いていた冨樫義博先生は、自分の体調の悪化と「描き続けなければならない苦痛」により、自分の漫画を「わがままで辞めた」と明言しました。その際の文章は連載終了後の同人誌に書かれていたのですが、これは原因こそ自分本位ですが、すごく悩んだ末の結論であり、そして読者に対して申し訳ないという気持ちが伝わってくる、本当に痛々しい、身につまされる文章でした。
 勿論、冨樫先生は売れっ子中の売れっ子であり、それだけ責任が大きいと自覚していて、サイコー達は「そうじゃない」という違いはあります。でも、「自分の手で辞める」のは、若気の至りで済んだらいけないと思います。『タント面白かったのに、なんでPCPなんて変な漫画描いてるんですか?』とかいう手紙が来た時に、二人はなんて返すんでしょうか?漫画家の先生は忙しいからファンレターに返事なんてしませんかね。


 ただ、このバクマン。という漫画、生々しい話になりますが、たぶん実際のジャンプ編集によって、ある程度の作風の方向性を提示されていると思います。ファンタジーではない、ジャンプそのものの漫画ですからね。これに影響される漫画家志望の青少年がいっぱい現れるのは明白ですから、迂闊な事を描くわけにはいかないのです。
 ですから、アンケート至上主義を掲げるジャンプとして「一位を取る事を目標にする漫画家」が主人公になるのは当然ですし、「漫画家は楽しいものではなく『仕事』である、ひたすら面白い事だけ考えろ、平丸みたいなアホにはなるな」という現実を見せるのも当然です。特に三つ目はビジネスとして結構切実な話だと思います。
 でも、フィクションとして、「楽しいと言える瞬間があるから辛い事(=漫画家)もやっていられる」という描写はあって当然だと思います。サイコー達はどこに楽しい瞬間を見出しているんでしょうか。ファンレターを読んでる風でもない、彼女とか嫁さんあるいは友達に安らぎを求めてるわけでもない(安らぎを「貰う」事はあっても、「求める」事はありません)、新たな作風の研究と称して街に繰り出したりもしない、巻末コメントとか単行本の書き下ろしの「無償の労働」に遊びを入れるわけでもない、学校……は意味無いから辞めた…………あれ?こいつら本当に漫画を描くための機械じゃね?ジャンプって学校すら否定するような地獄だったのか……。
 読者はおろか、世界全体との交流が無い漫画家……、静河先生は実際に引き篭もりでしたが、今のサイコー達の方がよっぽど引き篭もりだと思います。こんな奴らの描いた漫画、本当に面白いんでしょうか?
 かつて藤子F不二雄先生は「ひきこもりの描く漫画こそ読みたい」と語っていたそうです。しかしそれは引き篭もれば良い漫画が描けると言っているわけではありません。「ひきこもりにはアイディアやエピソードの引き出しが無いから、漫画を描く際に全て自分の足で探さなければならない。つまりそれだけ新鮮なものが描ける」からだと言うのです。逆に『引き出しに中身がある人』は、その内容だけで満足してしまい、引き出しに保存された、つまり鮮度を失った素材で漫画を描いてしまいがちになると語っていました。体験は時間と共に色あせてしまうから、全て新しく体験できる引き篭もりは強みにもなるのです。つまり、結局は外に出るべきなんです。静河先生も外に出ました。引き篭もりが引き篭もったまま描いた漫画が、面白いはずがありません。


 サイコー達は売れるために漫画を描いています。それが悪いとは言いません。売れるのも立派な夢の一つです。アニメになった時には、彼女にヒロイン役を演じてもらいたいという少年らしい夢もあります(でも「他のアニメのヒロインはやるな」というのは真剣に酷いと思います。声優って漫画家以上に不安定な職業なのに)。でも、「読者が買うからこそ」売れるのです。読者の存在が全く語られず、それどころかロクに外にも出ず同期の漫画家しか友達がいないという状況では、とても売れるとは思えません。サイコー達は読者をなんだと思っているんでしょうか。アンケートを出すための機械でしょうか。
 邪道の漫画を描くのは良いでしょう。しかし、作者が邪道になってどうするのでしょう。こんな「ジャンプ編集部から見た理想の漫画家像」なんて、誰も好きにはなれないと思います。……亜城木先生の同人誌とか、人気あるのかな?亜城木先生がツイッター始めたら大炎上とか、そんな展開無いかな?
 ……悪意を持って書いてるわけじゃないのに、すごく嫌味な文章になってしまいました。ごめんなさい。これだけの文章を書いてしまう程には、私はバクマン。が好きです。


 あと、バクマン。でずっと気になってる事。毎回のアンケートで彼らは戦っていますが、絶対に「一位」にはなりませんよね。新妻先生が岩瀬先生とコラボした時ですら、ワンピースには勝てなかったんでしょうか。だったら新妻先生も大した事無い気がします。
 途中から現実の漫画を話題に出さなくなってきたのは、恐らく作中時間が未来に行ってしまって、どの漫画が続いてるか分からない状況になってしまったか、あるいはバクマン。で人気を明示されると読者がいらぬ誤解をすると判断されたかのどちらかだと思いますが、それでも一位は絶対に登場しません。たぶん、話題には出てこないだけで、ワンピース辺りがまだ頑張ってるんでしょう(他の架空の漫画なら、絶対にバクマン。作中に登場してラスボスになるべきですし)。ワンピースは私も面白いと思いますし、まだ何年も続くとは思いますが、何年も何年もワンピースだのナルトだのにおんぶにだっこ状態のジャンプもどうなのかと。