時を越えた会合

 ハガレンの感想をひねり出そうとここ暫く考えていたんですが、結局出てきませんでした。「本編の番外編映画」にありがちな、スケールは大きいけどメインキャラクターの成長を描くわけにはいかず、結果ゲストばっかりで話が進行し、しかも本編の人気キャラは一応出るもののチョイ役にしかならないという状況は(大佐……)、正直あんまり面白くありませんでした。
 しかし一番面白くなかったのは、映画を観に行った時の私の自転車。私は自分の自転車に目印として、何かのビニールの切れ端をハンドルにくっつけてるんですが、帰りにその切れ端が誰かに盗られてました。自転車のカゴに誰かがゴミを入れるという話はよく聞きますが(そういうことする人は死ねば良いと思います)、逆にゴミを盗って行く人がいるとは思いませんでした。
 その時の私の自転車のカゴには行きがけに飲んでいたお茶のペットボトル(空)も入れてあったんですが、それも盗られてました。ひょっとすると「他人の自転車のカゴにゴミを入れるとはけしからん奴もいたもんだ、このビニールと共に私が捨てておいてあげよう」という善意だったのかもしれませんが、あのペットボトルはゴミを持ち歩くのが面倒だったので放り込んでおいただけであって、家に帰ってから捨てるつもりだったんですよ。ましてやビニールは目印としてすごく便利なんですよ。誰ですか勝手に盗ってったのは。思い出したら腹が立ってきました。人のゴミを勝手に盗るんじゃないデスよ。ゴミにだって所有権はあります。たぶん。
 教訓、ゴミみたいな目印を付けない。
 あれからゴミに見えないちゃんとした目印を探してるんですが、デザイン性も考慮するとなかなか出てこないもんですね。ダッコちゃんみたいなデザインで、吹きさらしになっても良い感じの奴、どっかに無いかなあ。ダッコちゃんなら黒いからそれで良いんだけど、さすがにもう手に入らないでしょうし。


 さて、今回の本題。
 『ゲーム批評』という雑誌がありました。名前の通り、新作ゲームの紹介というよりレビューやインタビュー、ゲームに関するコラム等をメインに掲載し、中立性を保つために「ゲームの広告を入れません」とだけ書かれた裏表紙が印象的でした。実際に中立だったかは別として、その独特の空気は一定の需要を得たようで、そこそこ長く続きました。Wikipediaによると1994年から2006年まで続いたそうです。
 そしてある日第一号を兄が買ってきました。それが94年のある日だったのかは定かではありませんがたぶん第一号だと思います。捨ててなければ今も実家にあると思います。馬鹿だった頃の私は、特に何も考えずにその雑誌を読みました。なので内容はほとんど覚えていないのですが、一つだけ妙に印象に残ったものがありました。タイトルは忘れましたが、ゲームをテーマにしたオムニバスの4コマ漫画です。特に覚えていたものに、ゲームの『へべれけ』を酔っ払いと勘違いしてしまう女子高生のネタがありました。私自身『へべれけ』が好きだったのでその着眼点に感心したのと、おっさん好きの女子高生は当時の私の中には無いジャンルだったので、ずっと頭の片隅に残っていたのです。ちなみに、二号以降は兄が買ってこなかったので読んでいません。
 あれから17年?経ち、唐突に(ブックオフで)その4コマ漫画の単行本を見つけました。私が個人的に大好きな作家、林家志弦先生の『ひまわり地獄』でした。手に取って読み当時の記憶が蘇り、ようやくめぐり合えた事に感動すると同時に、ああ、あの頃から性癖?は変わってなかったんだなあと知りました。
 林家先生と言えば本気の百合とそれを茶化したギャグの印象が強いのですが(「ふたなりは邪道」は至高の名言だと思います)、たまに出るおっさんキャラも良い味を出しています。この「ひまわり地獄」は4コマ漫画なので情報量こそ少なめですが、普段あまり見られないおっさんや男っぽいネタが多めなので嬉しいですね。そしてゲームネタがメインなのも当然ゲーム好きとして嬉しいですし、「登場したゲームの80%をプレイしていない」というぞんざいさも、肩の力が抜けていて『ゲーム批評』の全体的な硬さを緩和する役割を果たしていたのでしょう。単行本としてちょっと薄いのは残念なのですが、まあ4コマ漫画だしね。
 個人的に気に入ったネタは「挨拶格ゲー」。コマンド入力で挨拶から名刺交換にコンボを繋げるとか、すごくやってみたいです。あの格ゲーの元祖『カラテカ』を受け継ぐシステムでもありますから、誰か作ってくれませんかね。格ゲーと言えばもう一つ、「次世代機で実写取り込み格ゲー」のネタがありましたが、これってツインゴッデスのことなんでしょうか?そもそもツインゴッデスの役者が誰だったのか知りませんが。
 ていうか、ツインゴッデスってPSのほぼローンチタイトルだったんですね。なんというか、PS初の格ゲーとして恥ずかしくないんでしょうか。初だから恥ずかしくないという考え方もありますが。あるいは、「次世代機=実写取り込み」という安易にも程がある考えが間違っていることを一番最初に示したという意味では貴重なのかもしれません。