012話

 これを書いてるのは22日です。
 ちょ→こっそり。
 ニィルダステは実力も申し分ないので、仲間にできるものならしておきたい。危険人物なので近くで監視しておきたいという理由もある。私もなんだかんだで世話焼きであろう。
 しかし、そいつの事ばかり考えていてもしょうがない。樹海に挑戦するのが第一の目的だし、ヤツもそれは理解しているだろう。運が良ければ樹海の中で出会うかもしれない。出会わなくて済むのなら、まあそれはそれでいい。あいつに会うために来たわけじゃないからな。
 つまり、目の前の巨木に通っていれば万事解決する。ああ、簡単だ。
 というわけで、今日も相変わらずの四人組で樹海に挑戦する。今日は二階を本格的に探索する事になるわけだが……、どうも二階にはデカブツが何頭かいるようだ。
「あれは、ここ一帯を住処としている鹿ですね。確か名前は……『狂乱の角鹿』」
「すごい名前だね」
 鹿は広間の中をぐるぐると回っている。こちらには気づいているようだが、特に襲ってくる気配は感じられない。「狂乱」という割には大人しい性格のようだ。
「それ、誰が名づけたの?」
「さあ……、とにかくそう呼ばれているのを聞いた事があります」
「そりゃきっとアレだよ。おんなじところを飽きもせずぐるぐる回ってるから「狂ってる」とか思ったんだよ、誰かが」
 案外そうかもしれないなあ。
 まあとにかく、今は敢えて喧嘩をふっかけてもしょうがないよねえ。同じようにぐるぐる回って、流れに沿って通り過ぎる私たち。……子供の頃、こんな遊びをした気がする。
 二階はどうやらこの鹿ばかりのようで、広間があれば一頭は鹿がぐるぐる回っていた。そしてこちらから刺激しない限りは手を出してはこない。
「なんか、未開人の儀式みたいだね」
「雨乞いの踊りとか?」
「方向感覚の神経がやられているのかも……」
「狩りをしていた僕としては、こういう獲物は仕留めたくなります」
 皆、なまじ平和なばかりに好き勝手言っている。確かに野生生物が時々襲ってくるんだが、一階のそれに毛が生えたぐらいの強さしかないから、気が抜けてしまうのもしょうがないのかもしれない。
 ……そんな事だから、ちょっとした事件が起きてしまうんだろう。
 通路の行き止まりに辿り着くと、そこには魔物の代わりに、小動物達の住処があった。樹海の生態系は特殊だとばかり思っていたが、その空間だけは普通の森のように穏やかで、リスが木の実を忙しなく齧ったりしていた。
「あ、リスだーっ!」
 フィールが何の警戒心も無く近づいていく。かつてないほどの無邪気な顔をしており、持ってきた食料の切れ端を取り出していた。
 ……ヤツが小動物好きだというのは初めて知った。そんな小さな驚きがあったから、対応が遅れた。
 リスはフィールに気づくと、片手に盛られた食料には目もくれず、フィールの肩に飛び乗ると、そのままヤツの道具袋の中に入ってしまった。
「リスがァァァァァ!!」
 フィールが謎の叫び声を挙げると同時に、リスが袋の中から顔を出した。その口には、「私たちにとって大切なもの」がくわえられている。
「し…しまったッ!糸の方をとられたッ!」
 そう、アリアドネの糸だ。それに気づいた私が鞭を振るったが、リスの動きは素早く、間一髪のところでかわされ、小動物の住処の中に消えていった。
「リスが……道具を盗んだ……?」
「姐さん、追いましょう!」
「いや……放っとけ」
 泥棒には違いないが、たかがリスだ。そして逃げ込んだ場所に罪は無い。私たちが蹂躙すればリスはつかまるだろうが、この小さな生態系も確実に破壊される。その場合犯人、いや犯リス以外の無関係な小動物はどうなる?私は博愛主義者でも自然保護団体でもなんでもないが、ここを破壊するのはさすがに躊躇するというものだ。
 誰だってミスはするし、リスだって糸が欲しい状況があるのかもしれない。私は広い心で許してやることにした。
「だが……フィール君?」
「なに?」
「あんたひょっとして、この展開を予想してたんじゃない?」
「んなわけないじゃん。あたしだってすっごいびっくりしたよ」
「ほほう……、その割にはさっきの台詞がわざとらしかったと思うんだけど……」
「まっさかー」
 しれっと言いやがった。しかし「糸の方をとられた」という台詞は、なんらかの根拠が無いと言えない台詞だと思うんだけど、なー。それにこいつは、こういうトラブルが大好きなのだ。平気で自分達を窮地に追い込んでしまう選択をする阿呆なのだ。欲望に正直すぎる。
「じゃあ質問を変えよう。リスは好き?」
「大好き!」
 満面の笑みだ。……これは嘘ではない。となると……さっきのも演技ではなかった?
 まあいいか。ここで揉めてもしょうがない。幾ら探索が楽でも、糸を失くしたのは痛いので、早々に引き上げることにした。
 帰り道。私は少々疲れた顔で例のドクトルマグスに出会った。
「その顔は……やられたな」
「知ってるの?」
 こいつがここから動いたところを見た事が無いが、恐らくここ一帯の情報は持っているんだろう。奴は僅かに表情を落として、私達を労うような目線を送ってきた。
「ヤツも生活がかかっているのだ。許してやれ」
「リスが糸を何に使うのさ」
「あの糸は素材として使える。強度も長さも丁度良い」
 それは考えた事が無かった。確かに魔力がこもっているのは知っていたが、なるほど、高い魔力を保持するにはそれなりの物理的な強度が必要なのかもしれない。
「じゃあ、アリアドネの鞭になる?」
「効力を暴発させない自信があるなら、やってみるが良い」
 なるほど、そりゃ無理だ。手が滑ってうっかり使っちゃう事もあるぐらいだから、鞭で打ったら一発でトびかねないね。


 帰っておっちゃんとシトト嬢に話を聞いたところ、リスの被害に遭っているギルドは多いそうだ。どうも各地に出没しているらしく、殺伐とした樹海での癒しスポットに限って現れるものだから、皆一度は確実に引っかかってしまうとの事。
 しかし不思議な話も聞いた。どうもこのリス、現れるようになったのはごく最近で、しかも各階層で同時に現れたそうだ。生態系が乱れた様子が無いので、移住してきたのか突然変異なのかすら分からないという。
「誰かが後ろで操ってたりして」
「何の為に……?」
 糸は確かに重要ではあるが、冒険者にとっては有り触れた道具だ。高価というわけでもないし、ちょっと稼げばすぐに手に入る。つまり、人間がリスを使って集めさせるのはあまりにも非効率だ。しかし、野生動物が血迷ったというのでは根拠が弱いのも事実。
 樹海の七不思議というものがあるとしたら、一つは確実にこれであろう、そんな話が酒場の噂になっていた。