川上とも子と山本正之

 41歳。若いとは言えないが、社会人としては一番脂の乗る時期だ。だが、川上とも子さんは亡くなられた。病気療養中だったが、声優業は細々と参加していたし、てっきりそのまま完全復帰するとばかり思っていた。
 御歳を召した人が亡くなられるのは、悲しいけど仕方ないことだから受け入れられる。しかし川上さんは、かの塩沢兼人さんよりも若いまま逝ってしまった。それが衝撃的で、何か書きたいんだけど、上手くまとまらない。
 なので、私なりに川上さんについての流れを追うことで偲んでみようと思う。


 川上とも子さんの(わかっている限りでの)声優デビューは94年だが、実は歌手デビューというか、CDデビューはそれよりもかなり早い。私の知る限りでは88年、山本正之さんのファーストアルバム「山本正之'88」のコーラスに参加している。
 山本さんは自分の曲の女声コーラスに「ピンクピッギーズ」というグループ名を付けているのだが、これは山本さんがぷろだくしょんバオバブの養成所で講師をしていて、そこの生徒(つまり声優の卵)に歌わせたのが始まりである。そして、まだ高校生だった川上さんも88年頃からそれに参加することになる。なお、ピンクピッギーズは時代は勿論曲のイメージによってもメンバーを入れ替えるので、ピンクピッギーズが参加していることが川上さんの参加とイコールではない。
 最初に川上さんが参加した曲は「'88」の『おぢさんシンドローム』。一昔前なら会社に一人はいた、うざかったり汚かったりする「おぢさん」を歌った曲で、キモイおぢさんっぽく歌う山本さんに対し、キャピキャピのOLっぽくピンクピッギーズが返すといった構成。この頃の川上さんは高校三年生だが、役はOLである。なお、この「'88」は他にもピンクピッギーズが歌っている曲があるのだが、確実に参加しているとわかっているのは『おぢさん〜』だけ。余談だが、この曲は当時EPでシングルカットされていて、「'88」もLPで出ていたりするので、川上さんはEP及びLPデビューもしていると言えなくもない。
 山本さんはこの翌年以降にもアルバムを出していて、当然ピンクピッギーズも出ているのだが、次に川上さんが参加しているとわかっているのが、91年のCD「大竜界」。これは山本さんのライフワークである燃えよ!ドラゴンズの91年版なのだが、この年にはシングルCDとは別にアルバムとして「大竜界」も出ていた。
 曲目は91年版燃えドラの他に「往年の名選手編」が入っていたり、燃えドラとも、他の球団の応援歌とも違う変化球的な曲が入っていたりする(「負けドラソング」まである!)が、そのうちの一曲『好きよ、ストレート!だから今夜もここに来た』、これは山本さんの曲の中でも非常に珍しい、ピンクピッギーズがメインボーカルの曲で、これを川上さんともう一人で歌っている。ちなみに内容は、当時の若手投手与田剛の応援歌である。なお、ドラゴンズ関係の曲は後に『昇竜魂』というCDで大体補完されているのだが、これは個人の応援歌ということもあってか、これのみの収録だった。


 その後もピンクピッギーズは山本さんの曲で起用されていたが、93年、つまり川上さんのデビュー前年になって少し事情が変わる。この年に出た「鐘ノ音響キテ」収録の『シチリア島マフィアの美少女』では、ピンクピッギーズの曲とは別に、川上さんがソロで歌うパートがあるのだ(当然名前もクレジットされている)。昇格とでも言うのだろうか。世界中を旅する博士とその助手のカワセ君が、嵐から生還した後に辿り着いたシチリア島で、マフィアとして抗争の中を生きつつ、幼い弟妹を守って戦う美少女と出会う。と言ってもそこで博士達とドラマが生まれるわけではなく、その土地と、土地を生きる人の美しさを歌った曲である。そして川上さんは間奏でその美少女の声を存分に披露しているのだが、流暢なイタリア語というわけではなく、イタリア語っぽい言葉を適当に並べただけで、言葉としてはメチャクチャだった。でも、なんとなく力強さは伝わってきた。
 95年「アノ世ノ果テ」ではその続編『南極観測流氷美少女』が収録されている。博士達は今度は南極に出かけて、また川上とも子の声の美少女に出会うのだ。ここでの美少女は南極ということで、タロとジロに絡めたエピソードと共に登場し、その遠吠えを聞かせてくれる。今度は普通に日本語だったが、まあタロとジロも日本人?だったし、きっと彼らから学んだのだろう。
 余談だが、博士達が乗った南極行きの船、船長の声は甲本ヒロトである。山本さんとヒロトは個人的な友人だということは知る人ぞ知る事実だが、このアルバムはその辺の事情により、ヒロトファンにとっても重要だったりする。


 96年、山本さんにとってはラジオ「平成タイムボカン」の年である。そのラジオドラマでかのドロンボーのその後が語られていたが、ボヤッキーの娘「ハッピー」も登場した。この娘を演じたのが、他ならぬ川上とも子さんである。川上さんは既に声優デビューしていたが、出世作である「少女革命ウテナ」の前の年なので、まだ「ただの若手声優」だった頃だが、山本さん繋がりということか、結構重要なサブキャラとして起用された。ちなみに性格や口調はコギャルそのもの(時代だなあ)だが、ボヤッキーとの親子仲は悪くなかった。
 この辺の詳しい話や、ハッピーちゃんがどんな声か聴きたい人はこの動画の8:30頃を観れば良いと思う。なお、全部で30分もある動画だが、川上さんが出てくるのはその付近だけなので。
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 そして2000年、タイムボカンは平成の時代からミレニアムの「怪盗きらめきマン」に移る。久しぶりのボカンTVシリーズであると同時に川上さんの主演作である。主人公リップはコギャルのハッピーちゃんとは違い、今時の平均的女子学生のイメージで、ヒーローであることには素直に喜んだりするが、怪盗行為を悪いと思っていたりする。それが26話かけて少しずつ成長していく様が上手く描かれていた。まあアニメ的に面白かったかどうかは別として。
 私はボカン及びマサユキストのフィルターを抜きにしても、この川上さんの演じたリップというキャラクターは非常に好きである。大人という程真面目で理性的でもなく、また女としての自分も明確に意識していないリップは、「僕」という一人称を使っていた。これは、大人になりきれない少女という点では同じだが、女である事を意識した上での反発として「僕」を使うウテナとは全く別の意味合いのものである。この二役と後述のマーブルを通じて、私は川上さんを「ボクっ娘が一番上手い声優」だと勝手に考えている。
 リップにはキャラソンもあった。といっても本編でも使われていない、サントラのみの収録だが、『LIP STEAL』はそんなリップの幼さを的確に表現している。バックでは今までメインだった山本さんがコーラスを入れていて、これもまた色気があって良い曲に仕上がっている。ちなみにきらめきマンの主題歌では例によってピンクピッギーズがコーラスを入れている。主役なのにコーラスの一人で参加(たぶん)という扱いはどうなのだろうか。


 年代は前後するが、98年から、川上さんはラジオ番組「川上とも子のうさぎのみみたぶ」を放送していた。山本さんも恩師ということで何度かゲストに呼ばれていたが、99年のラジオCD「Marble」では三曲ほど山本さんが曲を提供している。Marbleとは川上さんが当時飼っていたウサギの名前で、ラジオはマーブルもパーソナリティとして参加しているという体で放送していたが、このCDではそのマーブル(一人称・僕)の視点でのドラマが書かれている。ラジオ収録の一日を追いつつ、曲がその合間に入る形になる。
 三曲とも山本さんが作詞作曲しているが、うちの一曲『ゆめウサギ』は編曲とピアノ演奏が川上さんだった。他の二曲は普通に山本さんが歌っても違和感が無いようなイメージなのだが、この曲に限っては川上さんにしか出せない世界がある。山本さんもウサギは好きらしいが、川上さんには負ける。ただ可愛いだけではない、ウサギの耳は何故長いのか、その耳で何を聴くのか、山本さんがその歌詞を作り、川上さんが命を吹き込んでいる。
 川上さんはそうして声優となっていったが、まだ山本さんとは関わりがあった。2003年のアルバム「才能の本能」収録『朝鮮半島美少女舞』で、再び美少女を演じているのだ。博士達はシチリア島に行ったり南極に行ったり、果ては宇宙まで行ったりしてたのだが、最後に日本に帰る前にその半島を見るのだ。そこでは、家族と別れてしまった美少女がその愛を踊っていた。そこには政治思想など無い。ただ悲しみと、平和を願う気持ちがあるだけである。博士達もその姿を焼き付けて日本に帰る……のかと思いきや、次のアルバムではまだ旅をする資金が残っていたのか、沖縄付近で竜宮城を訪ねていた。その次のアルバムではようやく日本に帰ったのだが、美少女シリーズは山本さんの故郷である安城を思いっきり歌うローカルソングになっていた。
 もう二曲、山本さん絡みの曲がある。アニラジの元祖である青春ラジメニアの2004年のCD「ラジオがだいすき」。これは体裁こそラジメニアだが、内容的にはラジオやアニメに絡んだ曲を山本さんが書いて、それをラジメニアっぽく紹介するといった構成である。そこに川上さんも参加していて、一曲は先の「アノ世ノ果テ」にショート版が収録されていた『テレビない星』、もう一曲はそれの対になる『アニメある星』である。どちらも無邪気な歌い方だが、テレビない星に生まれて健やかに育ち清らかに死んでいく人が、アニメある星に生まれたことを幸運と感じ、ZEったい消エナイと歌う。アニメ好きとして、そして声優としての有り様を感じさせられる。


 山本正之さんに絡んだ話のみをしたが、私はウテナも大好きだし、ケロロ軍曹の劇場版だって毎年観に行っていた。ARIAだってDVDを揃えている。と言っても追っかけていたわけではないのだが、私の好きなアニメには結構な割合で川上さんの名前が入っている。あるいは好きだったから名前を見た時に印象に残ったのかもしれないが、山本さんにとってそうであったように、私にとっても特別な役者であったことは間違いない。
 アニメある星に生まれたことは幸運である。そして一度アニメに吹き込まれた声は、ZEったい消エナイものである。私はそう信じたい。